22年前、米国ロスで買ったPC2011/04/11 22:43

 1989年3月、中米出張の帰りに、発売直後のMacintosh Ⅱcxを手に入れる目的でわざわざロスアンジェルスに立ち寄った。リトル東京に宿を取り、ホテルのコンシェルジェに頼んでappleショップに電話を掛けまくってもらった。30分も電話でⅡcxの在庫がないか聞いてもらったがどこにもまだなかった。土曜日の午後で閉めているショップが多かった。
 1泊2日の滞在なので、あきらめきれず歩いて探そうと街に出た。appleを置いている店は見つからない。そのうち日が暮れてきた。手ぶらで帰国するのも納得できず、代わりにTandy Radio Shackで購入したのがこのマシン。当時、米国で当たり前に使われていたIBM PC/AT互換機である。Tandy 2500SX/20 HARD DRIVE。CPUはインテルの80386SX。日本円で17万円ぐらい払った気がする。
 なお、IBM PC/ATとは、IBMが1984年に発表したインテルのCPU80286を乗せOSにPC-DOSを採用したパーソナルコンピュータのことで、マシンの仕様書を広く公開したので、その互換機が様々なメーカーから安く開発され世界中に普及した。
Tandy 2500SX/20
 シャーシーを開いたところの写真だが、CPUはIntelの80386SXからCyrixのCx486SLC2に換装している。昔、80386SXをCx486SLCに付け替えるのが流行したのだ。大ブームになった。みんな早さに飢えていたんですね。
 浮動小数点演算素子Cyrix FasMathチップまで搭載している(下の写真、右側)
Cx486SLC2に換装
 付け替えるといっても、80386SXはソケットに刺さっているのではなくて半田付けされているのだから、事は簡単では無い。80386SXの周囲に出ている足が各辺25本、4辺で100本あり、100本足の半田を一気に溶かして外さなければならないのだ。
特別な半田ゴテを秋葉原で購入した。半田ごてはHAKKOのNo.924で55Wと熱量が多く先端のコテ先をネジで取替え可能な構造。使う前にコテ先には半田をたっぷり乗せておく。CPUの足と密着性を高めて同時に熱が伝わるようにするため。
CPU換装のために買った半田ごて
 ピンの間隔が0.635mmでピンとピンの隙間が0.2mmしかないので、486SLCの半田付けは困難と思うでしょうが、意外と簡単なのだ。80386SXを外した後を綺麗にした跡地に、486SLCを正確に置き、テープで動かないように固定する。その後は、ピンとピンの間が半田で短絡してもかまわないのでたっぷり半田を乗せてしまう。その後、純銅製の紐をピンの上に置いてコテで暖めながら吸い取っていく。緑色のレジストされた部分は半田がくっ付いていないので銅の半田吸い取り紐に吸収され、銅色のランド部分だけに半田が残る。ご覧のようにプロ並の仕上がりとなる。

Cyrix Data Sheet
サイリックス社のCyrix Cx486SLC(右)とCx486DLCのデータシート。486DLCはソケットにさして使うタイプ。

PC-6001周辺機器2011/02/26 14:23

PC-6001の周辺機器も元箱共々大事に保管しています。

拡張ユニットPC-6011
 PC-6011は拡張ユニットです。左側に飛び出している部分をPC-6001の右側に差し込みます。バスに接続してメモリー空間を拡張するのです。

 最近ではコンピューターのハードウェアについての基礎知識を持たない人が当たり前になっていますので、バスについて簡単に説明します。

 バスとは、CPUからの命令信号を伝える電線の束とCPUからメモリーに命令を伝える際にメモリーの住所を指定するための電線の束を総称したものです。他に色々な制御線も含まれます。

 当時のCPU「Z80」は8bitなのでデータ伝達用電線も8本です。またメモリー内の住所を指定する電線の数は16本でした。2の16乗=64Kbitの住所を指定できます。64Kbitの住所に8bitでデータを送受しますので、64Kbyteのメモリー空間を扱えます。

 PC-6001は、64Kbyteのメモリー空間全てを利用していません。本体には16KbyteのRAMと16KbyteのROMを搭載しています。拡張ユニットPC-6011にメモリーカードを挿入することでRAMを32Kbyte、ROMを32Kbyteに増やすことができるのです。

プロッタープリンターPC-6022
 PC-6022は、カラープロッタープリンターです。プロッターはX座標とY座標を指定して図形を描く機器ですが、文字も出力できるのでプロッタープリンターと命名されています。ロール紙に打ち出します。PC-6001とデザインを揃えていますが、他のパソコンに接続しても使えます。

ジョイスティックPC-6052
 PC-6052は、PC-6001用にNECが発売したジョイ・スティックです。NECは、PC-6001パピコンという愛称を付け、子供から若者向け高級玩具という位置付けだったようで、ゲーム用ジョイ・ステックも発売しました。接続端子は9ピンのシリアルポートです。

1983年発行のOh!PASOPIA創刊号2011/02/18 01:23

1983年秋発売。東芝のPASOPIAに特化したパソコン誌「Oh!PASOPIA」創刊号です。広告や記事に「時代の空気」が漂ってきます。ああ、懐かしい・・・なあ。
Oh!PASOPIA創刊号表紙

 裏表紙はPASOPIA16の広告。先行するNECのPC-9801に対抗する機種だったとように思います。
Oh!PASOPIA創刊号裏表紙

 Oh!PASOPIA創刊号の目次。当時のパソコン誌が何を話題にしていたかよくわかります。
Oh!PASOPIA創刊号目次

 見開きでPASOPIA7の内部解剖図を掲載しています。左上の写真はCPUがSHARP製Z80Aであることを示しています。左下の写真にはPROMが6つ搭載されていたことを示しています。PROMにはBIOSとBASICプログラムが焼き込まれていたのですね。
Oh!PASOPIA創刊号、内部解剖頭


PC-6001 今も大事に保管しています2011/02/16 22:48

 PC-6001で初めてプログラミングを勉強しました。自分でPC-6001内蔵のBASIC言語でプログラミングしないと、ほとんど何もできないのが当時のパソコン(マイコン)でした。パソコン使う人=プログラミングする人でした。30年近く前の骨董品のようなPC-6001を今も捨てずに保管しています。しかも完全動作品です。写真で紹介します。
 PC-6001本体一式です。
PC-6001本体一式

 カラーテレビに接続して電源投入した直後の画面です。自作の太くて短い特製同軸ケーブルで接続してノイズを最小に押さえてもこの程度の画質です。
PC-6001起動直後の画面(カラーTV)

 グリーンディスプレー(緑色単色モニター)にコンポジット信号で接続した画面です。単色ですが、色にじみが無く文字が鮮明に読めます。 
PC-6001緑色単色モニター接続画面

 起動直後の画面から分るように、ユーザーが利用できるメモリー空間が7100バイトです。現代のデジカメで撮影した画像一枚が4Mバイトほどにもなりますから、デジカメ画像一枚の500分の1程度のメモリーしかありません。当時、デジカメなど想像もできませんでしたが・・・。

 画面下に並んでいるCOLOR、CLOAD、GOTOとかはキーボードのオレンジ色ファンクション・キーと対応しています。BASIC言語のプログラミングでよく使う言葉をキーに割り当てていたのです。
 シフトキーを押すと別の言葉が5つ表示されます。合計10個の言葉を割り当てていますが、LISTなど一瞬でキー入力できます。ファンクション・キーは、ほとんど無意味でした。

 それから、画面に「N60-BASIC By Microsoft (c) 1981」と表示されていますが、マイクロソフトは元々、Microcomputer向けのBASIC言語を開発販売する小さな小さな会社でした。Micro+Softという名前が実体をよく表していますね。

 マイコンという当時の言葉には、Microcomputerの意味とMy computerの意味が込められていました。「ちっちゃくて可愛い僕個人のコンピューター」というニュアンスです。

PC-6001 最初に買ったパソコン2011/02/16 00:05

ソフトバンクのOh!PCの第6号~11号
 kindle DXのモノクロ画面の美しさに見とれていて、1984年、最初のMacintoshを見た日のことを思い出していた。それ以前に日本ではNECのPC-8001PC-6001PC-8801PC-9801の順に市場に投入されて人気を掴んでいた。カラー画面だったが、プログラムを自分で書くのが基本だった。文字をキーボードで横書きしていく操作が基本で、現在、当たり前のマウスで操作するパソコンなど想像もしていなかったので、モノクロの小さな画面ではあったがMacintoshには、ただ驚くばかりだった。

 私が最初にパソコンを買ったのは、確か1982年のことだ。数少ないNEC系のショップをやっと探して訪れた。店には、1981年に発売されたPC-8001と1982年に発売された弟格のPC-6001の2台があった。価格がPC-8001は19万8千円ぐらいだったのに対し、PC-6001は9万8千円だった。当時の給料では20万円のPC-8001には手が出なくて、PC-6001を買って帰った。ディスプレーはテレビのコンポジット端子に繋ぐので不要なのもPC-6001の経済的メリットだった。

 PC-6001を名古屋の店(確かフューチャー・イン金山という店だったような気がする)で買ったとき、店頭で無料配布していたのが創刊間もないソフトバンクOh!PCだった。表紙に「見本 本誌は書店ならびにマイコンショップで好評発売中」と上書きされていた。そうそう。当時はパソコンとは言わずマイコンという言い方が一般的だった。パソコンという言葉が一般化するのは、もっと後、PC-9801シリーズが普及し、実用的なビジネスソフトが出て、自分でプログラムを書かなくてもよくなったからだ。

 Oh!PCの裏書を見ると、発行人/孫正義、発行元/株式会社日本ソフトバンクと書かれている。東京・四番町の本社と大阪・西淀川区の営業所の2ヶ所で少ないスタッフで編集・発行・営業されていた様子が浮かんでくる。今日の巨大企業への成長を想像できた人がいただろうか。