熊野街道を歩く(天満からから谷九) ― 2012/07/03 22:57
京の都から熊野詣でへ向かう熊野街道。京から難波(大阪の古称)へは、淀川を船で下り、今の天満付近で船を降り、大阪の背骨ともいうべき上町台地を南下します。
古の大阪平野は湿地帯で一面に葦が生い茂っていましたが、標高25m前後の上町台地だけが古代から水の心配が無い高台でした。昔の重要な施設はすべて上町台地上に並んでいます。上町台地の北端に石山本願寺が建てられ、本願寺を滅ぼした秀吉がその跡に大阪城を築城しました。大阪城から南へ神社・仏閣が数珠つなぎに立地します。大仏教施設の四天王寺、茶臼山古墳、住吉大社とつながります。
都人が熊野へ向かう道であった熊野街道は、当然、地形上の合理的な理由から上町台地の一番高いところを通っています。現在の谷町筋です。なお、大阪では南北を筋、東西を通りと称してきました。
最近、大阪市内の熊野街道を健康のための散歩道として歩いています。天満から天王寺駅まで約5キロ、天王寺駅から住吉大社まで約5キロ、適当な運動量になります。熊野街道沿いには古からの旧跡が数多く残されているのも歩く楽しみを増やしてくれます。では天満橋近くの八軒家船着場跡を出発して上町台地を南へ向かいましょう。
(地図のルートは大阪府が発表している「歴史街道ウォーキングマップ」に基づいています。熊野街道が本当はどこを通っていたか? 上皇らの浄土信仰に基づく1000年以上前の平安中期、庶民も行列をなして熊野詣に向かったとされる室町以降江戸時代まで、時代によりルートに変動もあったでしょう。本当の熊野街道はどことは今後もいえないでしょう。)
古の大阪平野は湿地帯で一面に葦が生い茂っていましたが、標高25m前後の上町台地だけが古代から水の心配が無い高台でした。昔の重要な施設はすべて上町台地上に並んでいます。上町台地の北端に石山本願寺が建てられ、本願寺を滅ぼした秀吉がその跡に大阪城を築城しました。大阪城から南へ神社・仏閣が数珠つなぎに立地します。大仏教施設の四天王寺、茶臼山古墳、住吉大社とつながります。
都人が熊野へ向かう道であった熊野街道は、当然、地形上の合理的な理由から上町台地の一番高いところを通っています。現在の谷町筋です。なお、大阪では南北を筋、東西を通りと称してきました。
最近、大阪市内の熊野街道を健康のための散歩道として歩いています。天満から天王寺駅まで約5キロ、天王寺駅から住吉大社まで約5キロ、適当な運動量になります。熊野街道沿いには古からの旧跡が数多く残されているのも歩く楽しみを増やしてくれます。では天満橋近くの八軒家船着場跡を出発して上町台地を南へ向かいましょう。
(地図のルートは大阪府が発表している「歴史街道ウォーキングマップ」に基づいています。熊野街道が本当はどこを通っていたか? 上皇らの浄土信仰に基づく1000年以上前の平安中期、庶民も行列をなして熊野詣に向かったとされる室町以降江戸時代まで、時代によりルートに変動もあったでしょう。本当の熊野街道はどことは今後もいえないでしょう。)
大川(旧淀川)左岸の八軒家船着場跡が出発点です。背後が天満橋で前方に中之島の東端が見えます。大川は中之島で土佐堀川(左)と堂島川(右)に分けられ、中之島の西端で合流し安治川となり、一部は木津川となり、大阪湾へ注ぎます。(写真は「川の駅はちけんや」の屋上から西向きに撮影)
「川の駅はちけんや」正面入口です。地下に下りると、水上バスの待合所やレストランがあります。
「川の駅はちけんや」の前、川沿いに八軒家の解説版が設置されています。「江戸時代、天神橋と天満橋に挟まれた大川南岸が八軒家と呼ばれた・・・・熊野三山への参詣道である熊野街道の起点でもあり、・・・・」と書かれています。
解説を読んだ後、真南へ向かって進みます。まず土佐堀通りの信号を渡って、右側(西側)の歩道を進みます。大川べりの低地から上町台地に向かうのでいきなりの上り道です。
歩道には「歴史の散歩道」の印が付けられています。この印をたどって行くと大阪市内の歴史遺産にたどり着きます。大阪市建設局の土木工事共通仕様書には、この印のことを「つたい石」と表記しています。大阪府設定の「熊野街道」と大阪市の「歴史の散歩道」とでは趣旨が異なるので重なるところは一部です。
土佐堀通りを渡って上り道を130mも進むと、右折するように「つたい石」が導いてくれます。右折して下り道を西へ100mも行くと道路左手に釣鐘屋敷跡が現れます。
釣鐘の言い伝え。1634年、三代将軍家光が大阪城へ入城するのを出迎え歓迎の意を尽くした町衆の代表たちに将軍は永代に渡る地代免除の恩典を与えた。町衆代表たちは、この恩典を忘れないため釣鐘を鋳造し、2時間おきに一日12回釣鐘をついて時を知らせた。大火を幾度も潜り抜け江戸時代を通じて時を知らせたが、「明治維新」直後の1870年に撤去され1926年以降は大阪府庁屋上に保存されていた。1985年に釣鐘屋敷跡に戻された。
鐘楼はコンクリート造の現代建築だが、釣鐘は1634年鋳造の本物。大坂町中時報鐘として大阪府庁屋上に保存されていた。一日3回、8時、12時、日没時、自動制御で撞木(しゅもく)を動かし鐘を鳴らす。木製でないので撞木と言わず打棒と説明版に書かれている。
釣鐘屋敷跡でUターン、本来の熊野街道に戻る。
中大江公園を右手に見て更に歩みを進める。歴史の散歩道の印に従って道路左側(東側)の歩道を歩く。
前方に中央大通りと阪神高速の高架が見えてくる。熊野街道は高架下をくぐって直進する。
熊野街道のやさしい解説が書かれたボードが設置されています。大阪市建設局分室の敷地を借りて南大江社会福祉協議会が設置したものです。
南大江小学校の敷地に食い込む形で太閤下水見学施設が設けられています。豊臣秀吉の町づくりと関連付けられて太閤下水と呼ばれていますが、秀吉との関係ははっきりしません。江戸時代初期に存在したことは確かなようです。江戸時代の下水道が現代も機能しているとは驚くべきことです。大坂(江戸時代の呼称)の都市機能の先進性を物語る一例です。
白い鉄格子にはめ込まれたアクリル板越しに覗くと太閤下水を見ることができます。
城壁同様に石を組んで水路が作られています。今も汚水が流れていました。
城壁同様に石を組んで水路が作られています。今も汚水が流れていました。
懐かしい趣のある建物を見るとシャッターを押したくなります。旧字体で「東洋洋傘株式会社」と書いた額を掲げた建物。窓辺の手すりや窓の飾り格子など風情がありますね。
道路右側に南大江公園が現れます。公園の一番奥、南西隅に赤い鳥居があり、その陰に「朝日神明社跡」の石柱が立っています。坂口王子があった場所との伝承が残ります。熊野街道には旅の道しるべのように九十九(時代によって異なるが多い事の例えで99も無かった)の王子社(おうじのやしろ)が設けられていたそうです。その一つが坂口王子です。
八軒家から1.3キロ地点に設置されていた「熊野かいどう」案内モニュメントです。大阪市が設置したものです。
すぐ先で道路は狭くなり少し上り道になります。正面に巨木が見えた地点で熊野街道は左折します。この巨木は榎木大明神としてまつられています。住所は安堂寺町2丁目です。
せっかくですから少し坂を下って榎木大明神まで進んで見ます。巨木を恐れ敬う気持ちが古からあったのでしょう。巨木の前に小さな社を設け榎木大明神として祀ってきました。ただこの木はエノキではなかったようです。この道を下ると長堀通りです。
榎木大明神の下、木陰にひっそりと直木賞で知られる直木三十五の文学碑が立っています。直木三十五は谷町6丁目付近で若い時代をすごしたようです。
榎木大明神の手前で左折して谷町6丁目交差点方向へ向かう。この通りも安堂寺町2丁目です。またまたシャッターを押したくなる古い建物を見つけた。建物の機能性とは無関係に装飾に凝っている。ステンドグラスもはめ込まれている。
同じ建物のこちらが全景です。「蕎麦 文目堂」と控えめな表示板が置かれています。
谷町筋を横断すると安堂寺町1丁目です。東へ一筋80m進んで右折、南進します。右折後30mで長堀通りです。信号を渡ります。手前に熊野街道の標柱が立っています。
谷町6丁目の民家2軒です。繊細なデザインの木製格子。玄関灯のレトロぶり。戦前の建物だと思うのですが。激しい米軍の焼夷弾攻撃があったはずですが焼け残ったのでしょうか。次の機会にお宅を訪ねて聞いて見たいと思います。
信号を渡ってから285m進むとT字路で空堀通り商店街にぶつかります。T字路で左折、15mですぐ右折、一方通行の細い下り道を進みます。
桃谷湯と書かれていますから銭湯だと思うのですが、中に入っているのは車です。車がなぜ風呂屋に入っているのでしょうか? ここの住所は谷町7丁目です。
T字路から200mで片側1車線の道路に出ます。右を見ますと道路の真ん中に木が立っていて道路が木を避けるように2手に分かれています。やはり神木なんでしょう。たたりを恐れて切れなかったんでしょうね。住所は谷町7丁目と谷町8丁目の間です。
この道路を楠木通りと呼んでいます。道路の真ん中にクスノキが立っているからでしょうか。楠木通りの左側(南側)歩道には歴史の散歩道の印が続いています。その道をたどると谷町筋を左折して南へ80m行きます。そこに近松門左衛門の墓所がありました。住所は谷町8丁目です。
細い小道を直進し左折すると近松門左衛門の墓石がありました。近世日本文学の巨星たる近松ですら墓石がかろうじて残ったのだなあと思えました。その功績を慕う人々の手で墓所が何とか守られていました。末永く伝えていきたいものです。
近松門左衛門の墓は谷町筋ですが、直線距離で200mしか離れていない上町筋の浄土宗誓願寺に井原西鶴の墓があります。住所は上本町西4丁目です。近松の墓に詣でたら、ぜひ西鶴の墓も訪ねてください。誓願寺には井原西鶴や浪華の学問所「懐徳堂」についてのパンフレットも用意されています。
井原西鶴の墓は誓願寺境内の西奥にありました。よく手入れがされています。
誓願寺の入口左手に武田麟太郎の文学碑があるのに気が付いた。扉の陰で寺に入るときは気が付かなかった。武田麟太郎の作品「井原西鶴」の一節が抜き出されている。「誓願寺を出ると、夏祭りを兼ねて遷宮の儀式もあるといふ生玉の方へひとりでに足が向いていた」
上町筋の井原西鶴墓所から熊野街道へ戻ります。この付近では、熊野街道は谷町筋から2本東側の車が少ない道路です
熊野街道を歩く(天満から谷九)終わり。次は(谷九から天王寺駅)を歩きます。
コメント
_ SS ― 2013/04/17 00:42
_ photo ― 2013/04/17 00:59
SSさん、写真使用の件でご連絡頂きありがとうございます。
元はプロのフォトグラファーでしたが、今は仕事を離れ趣味でシャッターを切っています。
出版関係の方から時々、このブログや別のホームページの写真について、同様のお申し出をいただきます。それに対して「すでにアマチュアとしての写真ですので、出版物に使ってやろうということでしたら、どうぞお使い下さい」と申し上げています。このブログの長辺1024画素の写真でよければそのままお使い下さい。掲載出版物の名称を事後でもお知らせいただければ幸いです。メールアドレスを公表していませんのでコメント欄での対応とさせていただきました。
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出版関係の方から時々、このブログや別のホームページの写真について、同様のお申し出をいただきます。それに対して「すでにアマチュアとしての写真ですので、出版物に使ってやろうということでしたら、どうぞお使い下さい」と申し上げています。このブログの長辺1024画素の写真でよければそのままお使い下さい。掲載出版物の名称を事後でもお知らせいただければ幸いです。メールアドレスを公表していませんのでコメント欄での対応とさせていただきました。
_ SS ― 2013/04/17 22:45
使用の許可をいただきありがとうございます。
該当のデータをブログ上から落とさせていただきます。
このページの上部にある「榎木大明神」(上から15番目の縦長のもの)1点になります。
ご迷惑でなければ完成した本と謝礼をお送りしたいのですが、
メールアドレスをご公表なさっていないということですので、
ご意向を伺えればと思います。
該当のデータをブログ上から落とさせていただきます。
このページの上部にある「榎木大明神」(上から15番目の縦長のもの)1点になります。
ご迷惑でなければ完成した本と謝礼をお送りしたいのですが、
メールアドレスをご公表なさっていないということですので、
ご意向を伺えればと思います。
_ photo ― 2013/04/17 23:06
SSさん、ご丁寧なご返事ありがとうございます。
私の写真が何かのお役に立てば大変うれしく思います。
お申し出の謝礼はご辞退させていただきます。
また、書籍は大型書店店頭の検索システムで探して見ます。
貴社の出版事業のご発展を祈念しております。
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お申し出の謝礼はご辞退させていただきます。
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_ SS ― 2013/06/02 23:15
お世話になっております、SSS出版社のSSです。
先日はお写真をお貸しいただき、ありがとうございました。
おかげさまで書籍が出来あがりまして、ちょうど本日くらいから
コンビニをメインに販売される予定です。
もし目に留まる機会がありましたらお手に取ってみてくださいませ。
このたびは本当にお世話になりました。
末筆ながら、今後のますますのご活躍をお祈りします。
先日はお写真をお貸しいただき、ありがとうございました。
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このたびは本当にお世話になりました。
末筆ながら、今後のますますのご活躍をお祈りします。
_ photo ― 2013/06/02 23:36
SSさま、編集作業お疲れ様でした。また書籍の発売お喜び申し上げます。
早速、amazon.co.jpで「日本の・・・・・・」を調べたところ在庫20冊と表示されました。
近くのコンビニ店頭でも見つかりました。拝見しました。りっぱな完成度に敬服しております。
私の写真も大きく扱っていただき光栄です。多くの方の手に渡ることを願っております。
今後ますますのご活躍を祈念しております。ありがとうございました。
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今後ますますのご活躍を祈念しております。ありがとうございました。
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突然でたいへん恐縮なのですが、もしよろしければブログに
ご掲載のお写真を、書籍に掲載させていただけないかと考えております。
もしご検討いただけるようでしたら企画書の詳細等を送らせて
いただきたいと思っております。