「泥の河」文学碑2012/07/02 21:17

 少し前になりますが、偶然、歩いていて、宮本輝著「泥の河」の文学碑に出会いました。
 大阪の中心を流れる大川(旧淀川)が中之島で堂島川と土佐堀川に分けられ、再び合流する地点です。

 中之島の西端に立つ「中之島センタービル」の最上階から西側を見下ろすと堂島川(写真右下)と土佐堀川(左下)が再合流し安治川(右上)と名前を変えて大阪湾に下る状況がよく判ります。木津川(左上)にも分流しています。
 多くの橋が架かっています。左下に高架に隠れていますが湊橋、右下に写真から切れていますが上船津橋、中央左、土佐堀川から木津川への分岐点に昭和橋、中央、土佐堀川から安治川への分岐点に端建蔵橋、右手、堂島川から安治川への分岐点に船津橋が架けられています。
 文学碑そのものは阪神高速の高架下に隠れてみえませんが、碑のそばに建つ大きなクスノキ(左下)が高架より背が高いため、ああ、あそこに「泥の川」文学碑が立っているんだなと判るのです。阪神高速中之島入口から阪神高速神戸線へのループ状高架の下ともいえます。
中之島の西端

 地上に下りて、湊橋南詰めに建つ文学碑の前に立ちます。大きなクスノキが太陽を遮って影を作ります。阪神高速神戸線(右)と阪神高速へ入るための高架道路(左)が頭上を遮っています。「泥の河」は高速道路など存在しなかった時代が舞台です。
文学碑は湊橋の南詰、阪神高速高架下に建つ

 文学碑に書かれています。「目を凝らすと湊橋の下に確かに一艘の舟が繫がれている。だが信雄の目にはそれは橋げたに絡みついた汚物のようにも映った」。
「泥の河」文学碑

 文学碑の脇から、すなわち湊橋の上から下流方向、土佐堀川左岸を見ます。文学の舞台になった場所です。浮き桟橋があり、平底船が何艘も係留されています。写真上に昭和橋が見えます。右上の建物は住友倉庫です。
 コンクリートで美しく冷たく固められた岸辺には文学世界の面影はありません。川だけが流れ続けています。
湊端から昭和橋方向を見る

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