ブリヌィ(ロシア風クレープ)を初めて作りました2014/02/26 15:07

 ロシア風クレープ・ブリヌィБлиныを初めて作りました。前々から作って見たいと思っていたのですが、きっかけが無く踏み切れませんでした。やってみたら驚くほど簡単でした。

 ロシアでは復活祭に先立って一週間のマースレニッツァ(バター祭り)が行われます。キリスト教を受け入れる以前の民衆の春を待ち望む行事・風習とキリスト教の復活祭とが結びついたような祭典です。今年のマースレニッツァは2月24日から始まりました。マースレニッツァのマースラは油・バター・油彩絵具などの意味がありますが、ここではバターの意味です。マースレニッツァの期間は肉は禁止ですが、卵やバター、ミルクはOKです。そこで粉とミルクで丸くて薄いクレープを作りバターを塗って一週間、朝昼晩と食べまくるのです。

 実は、2月23日にブリヌィ作りが習えるロシア料理教室に参加させていただいて、コツを伝授してもらいました。翌日、さっそく真似をして作ってみた次第です。
 料理教室では、卵2個、牛乳1リットル、塩小さじ半分、砂糖大さじ1、小麦粉コップ3、植物オイル大さじ2~3、バター適量、でしたが、一人用として量を減らしました。
 卵1、牛乳250ml、塩・砂糖は少々、薄力粉110g、サラダオイル少々、ソフトマーガリンに変更しました。 
ブリヌィを初めて作りました
 1.卵をボールの中でよく攪拌、2.塩・砂糖を適量加え、3.薄力粉を篩いを通して加えていく、4.かき混ぜて僅かに粘りが感じられる程度の液になれば準備完了。5.この液をお玉に一杯すくって、熱してオイルを引いたフライパンに注ぎ、フライパンを傾け丸く広がるようにする。6.適度に焼けるとフライパンをゆすると動きますので、ひっくり返し裏も焼きます。7.キツネ色になる前に皿に取り出します。8.再びお玉に取った液をフライパンに注ぎ焼き始めます。その間に、皿のブリヌィにバター(マーガリン)を塗ります。この際、バターナイフではなく巾の広いフライ返しを使って塗ると効率的です。9.この材料で計8枚焼けました。

 テフロン加工のフライパンのせいでしょうか、焦げてフライパンにくっつくこともなく簡単にブリヌィが出来上がりました。8枚のブリヌィは昼、夜、翌朝でやっと食べました。ブリヌィ作りのコツは牛乳と小麦粉の比率が2対1より少し粉を少なめがよいのではないでしょうか。一度、適切な液の粘度をかき混ぜる手の感覚で覚えれば以後、上手く作れるでしょう。
 ブリヌィの素材は小麦粉に限らず、そば粉、オート麦粉、とうもろこし粉なども使われます。
 ブリヌィの食べ方ですが、様々な具を巻いて食べます。ロシアではスメタナ、サーモン、ジャム、イクラ、カテージチーズなどのようですが、自分の好みで何を入れてもOKです。入れるものによって食事にもデザートにもなります。
 http://phototech.asablo.jp/blog/2012/02/26/6348927
 2年前、モスクワのブリヌィ専門店Теремокで食べたブリヌィに負けないブリヌィが余りに簡単に作れました。

自作の絵画鑑賞用架台にS40号の油彩画を掛けた2014/01/19 21:10

 一月前に手作りした絵画鑑賞用架台に40Sの洋画を掛けてみた。

 『Л, Дьяконицын 《Рыбы》 1996г,』。
かってのロシア人作家の作品は全般に色使いを抑えた沈鬱な重々しいものが多かったように思う。この絵は窓から南国の暖かい風が吹き込み色使いもあでやかである。窓の外、青い水面の向こうの丘には黄色い菜の花畑。テーブルの上の大量の魚、そしてコーヒーカップ。新生ロシアの開放感が溢れている。でも良く見ると右上隅に何か不気味な影が・・・。新しい時代を手放しで喜んでよいのか・・・心の片隅に不安も。
自作架台に掛けたДьяконицын《Рыбы》1996г,
 キャンバスサイズが100センチ×100センチ、額のサイズは120センチ×120センチ、重さが17.1キロ。補強を施した自作の架台の強度試験も兼ねて、《Рыбы》 を掛けてみる。下の台座フレームから浮き上がるように掛けると支柱が手前に大きく反って倒れるのではないかと恐怖を感じる。結局、額縁の下が台座フレームに微かに触れる程度に吊り紐の長さを調節したところ支柱も垂直になり安定した。

 100号の絵も掛けられるようにと考えて作ったがとても無理だ。額縁の縦寸法120センチが限界だと分った。但し、横位置の絵画なら120M、100M、80P、60Fがいずれもキャンバスの縦寸法が100センチ以下の97センチである。横位置限定なら60号以上の絵も掛けられそうだ。

 40Sの横に12Fの野崎利喜男『楡の木(北大植物園にて)』を置くとすごくちっぽけに見えてしまう。大きさも絵画の重要な要素なのだ。

ロシアの細密画小箱ミニアチューラの解説・作品集「ルスカヤ・ラコーヴァヤ・ミニアチューラ」を入手2013/08/08 10:50

 ロシアの工芸品で一番知られているのは、マトリョーシカだろう。入れ子細工の素朴な木の人形で販売価格も比較的安い。ホフロマ塗りと呼ばれる金色と赤色に塗られた木製食器も有名。グジェーリと呼ばれる青い釉で描いた陶磁器も有名。何れも比較的安価。

 一方、ミニアチューラは余り知名度は高くないようだ。その理由は高価で作られる数も少ないから、観光客のお土産にはなりにくいことだろう。しかし最も手が掛かっていて美しさもロシアの工芸品の中では一番だと思う。

 そのミニアチューラの解説本兼作品アルバムともいうべき豪華本を見つけて最近購入した。
「Русская лаковая миниатюра(ルースカヤ・ラコーヴァヤ・ミニアチューラ」という本である。直訳すれば、ロシアの漆塗り(ラッカー塗り)細密画ということになる。解説文もあるが、大部分はパレフ、ムスチョウーラ、フェドスキノ、ホールイの4産地別にまとめたカラー作品アルバムである。ロシア語がすらすら読めなくても文字が少なく、ほとんどが写真なので、見て、写真から読み取ることができる本である。
Русская лаковая миниатюра ラシーア・ラコーヴァヤ・ミニアチューラ ロシア漆塗り細密画
 本の中はフェドスキノ、パーレフ、ムスチョーラ、ホールイの4産地に分けて初期作品から最新作品までが美しいカラー写真で並ぶ。説明文は少なく、制作年、作者、作品名だけが書き添えられている。
Русская лаковая миниатюраno

 ミニアチュールについて書かれた本は珍しく、各産地ごとの年代別変遷も写真を眺めながらわかるので貴重な一冊である。

ロシアの美術工芸品・ミニアチューラについて2013/07/18 18:31

 ロシアの伝統美術工芸品にミニアチューラというものがある。 その多くが油性絵の具で小箱に細密画を描いていた形状をしている。伝統的制作地としてはモスクワ周辺の4つの村に限定されている。パレフ村、ムスチョーラ村、フェドスキノ村、ホールイ村である。
 パレフ、ムスチョーラ、ホールイは宗教画イコンの制作地であったが、革命後の宗教政策でイコンの作成が困難になり、その技術を生かして細密画小箱の製造に傾斜していった。フェドスキノだけは出発点が18世紀末にドイツのニス塗り工芸品技術を導入して最初から細密画小箱を製作し、絵のテーマも宗教画ではなかったので革命後の政府と軋轢はなかった。
 絵の技法もパレフ、ムスチョーラ、ホールイがテンペラ技法なのに対して、フェドスキノは油彩技法と異なる。
 絵のテーマもパレフ、ムスチョーラ、ホールイがロシアの古代伝説・民話に依拠したものが多いのに対して、フェドスキノは世俗的で自由度が高い。
 絵を描く土台になる小箱は本来パピエ・マシェー(пааье-маше)と呼ばれる技法で作られる。言葉の響きからするとフランスからもたらされた技法であろう。研究社の露和辞典を見ると「紙に糊・石膏・チョークなどをまぜて作った張子」と説明されているが、丁寧に作られた箱は軽く丈夫でくるいが出ないそうだ。
 1987年にモスクワで購入したフェドスキノのミニアチューラである。作品の題名は「北の歌」(Северная песня)である。
ロシアのフェドスキノ村で作られた細密画小箱「北の歌」
 ロシアの小さな村で娘たちが輪になって踊っている。傍らでは若者たちがバラライカとアコーデオンで伴奏を奏でている。日が傾き、逆光の暗がりが広がる中、娘たちの衣装がきらめく---この金箔を巧みに使った技法に強く引かれて購入した。
ロシアのフェドスキノ村で作られた細密画小箱「北の歌」の上面
 当時はロシア共和国地場産業省工芸品玩具課の管轄で商品価値を維持するための管理が行われていたので4つの産地に限定されていたミニアチュールも、今では何でもありで模造品も多いらしい。本物は非常に高価である。産地まで出向いて作家から直接購入するのが本物を入手する確実な手段だろう。

チェブラーシカの原作者ウスペンスキー氏のインタビュー記事2013/03/14 17:29

 チェブラーシカの生みの親、童話作家のウスペンスキー氏のインタビュー記事が「ユーラシア ビュー」Vol.83に出ていました。日本で作られたリメーク版アニメ映画の上映後のインタビューです。
 「チェブラーシカ」は1966年に出版した絵本「ワニのゲーナとその仲間たち」の中で初めて登場、1969年にカチャーノフ監督とディレクターのシュワルツマンにによってアニメ化されて現在知られるチェブラーシカになったことが記事冒頭に書かれている。
チェブラーシカの原作者ウスペンスキー氏インタビュー記事
 記事中で興味深い話は「チェブラーシカ」という名前がどうして生まれたか?という点です。チェブラーシカという言葉は標準ロシア語には無い言葉です。ウスペンスキーさんにとっても聞きなれない言葉だったそうです。1966年より以前のある家族のエピソードです。小さな女の子を連れた家族が大きなエリ付きの毛皮の外套を買いに出かけました。毛皮の外套を買うのは大きな出費で一大事だったのです。将来を見越して女の子が大きくなっても着れるようにぶかぶかサイズの外套を選んだのです。女の子が着てみました。一歩歩いてすぐ裾を踏んで転んでしまいました。この家族の一人(ウスペンスキーさんの知り合いですが)が、「チェブラーフヌラシ・チェブラーシュカ (Чебрахнулась Чебрашка)」と言ったそうです。チェブラーフヌッツァЧебрахнутьсяという言葉の意味を知人に聞いたところ、「転ぶ」という意味の動詞でウラルより東、ヴォルガ河沿岸で使われる言葉だそうです。つまり「転んだちゃんが転んだ」と思わず言ったのです。この顔が隠れるほど大きなモコモコ外套を着た女の子の姿がチェブラーシカのイメージにつながりました。
チェブラーシカの原作者ウスペンスキー氏インタビュー記事

「ユーラシアビュー」はユーラシア諸国(旧ソビエト連邦地域)の文化や経済、市民生活などを紹介している小冊子で、イスクラ産業株式会社が発行しています。一部100円です。

昨夜のTVドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」で、チェブラーシカが主題でしたよ2013/03/12 14:24

 古書店主が事件を解き明かす連続テレビ番組「ビブリア古書堂の事件手帖」で、事件の主題がロシアの童話「チェブラーシカ」でした。
 最近の映画などでは、チェブラーシカはご存知のように大きな耳を持った愛くるしい姿をしています。すでに、これがチェブラーシカの共通イメージになっています。
ビブリア古書堂の事件手帖に登場したチェブラーシカの映画

 番組の最後の謎解きで、最初の絵本では、チェブラーシカがまるで異なる姿だったことが事件の背景だと古書店主からの説明がありました。
TVドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」の一場面
 TVを点けたときドラマは半分以上終わっていたので筋書きを正確には把握していませんが・・・。
TVドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」の一場面

 これが「チェブラーシカ」の最初の絵本「ウスペンスキー著 チェブラーシカのなかまたち」だったんですね!初めて目にしました。チェブラーシカがどこにも居ないように見えますが、右側の一見、クマさんのようなタヌキのような動物がチェブラーシカです!この食い違いが誤解の元になるんですね。
TVドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」に登場したチェブラーシカの最初の絵本

 番組最後に流れる場面、チェブラーシカの最初の絵本「チェブラーシカとなかまたち」が1ページ、1ページ開かれていく。右側に俳優の名前が流れている。
番組最後に流れる場面、チェブラーシカの最初の絵本「チェブラーシカとなかまたち」

 このタヌキのような姿のチェブラーシカが、今の愛くるしい姿に変わったのはいつのことで、なにがきっかけだったのでしょう。
番組最後に流れる場面、チェブラーシカの最初の絵本「チェブラーシカとなかまたち」

 この初期の絵本に登場するチェブラーシカの姿が余りに今と異なるので驚きました。テレビ番組は次回が最終回だそうです。

ヘルシンキ-タリン-モスクワの旅で出会った野鳥たち2012/02/29 21:15

 今回の旅は、フィンランドのヘルシンキに到着後、エストニアのタリンにフェリーで日帰り旅行に出かけ、再びヘルシンキで観光、その後、ロシアの首都モスクワへ飛び、モスクワの北東に位置する「黄金の環」の都市ウラジーミルとスーズダリとセルギエフ・パサートを訪ね、モスクワから帰国する11日間の行程だった。
 野鳥の旅ではないので、たまたま観光の途中で目に付いた鳥たちにレンズを向けたのが以下に紹介する留鳥たちである。現地ではもっともありふれた鳥たちだが、日本では見かけないか、まれに迷鳥として飛来する鳥たちも含まれる。

 ハイイロガラスCorvus cornix=9月26日、エストニア・タリンで
野鳥ハイイロガラス

 ユリカモメ=9月26日、エストニア・タリンで
野鳥ユリカモメ

 マガモ=9月26日、エストニア・タリンで
 渡り鳥ではなく留鳥化しているケースもある。
野鳥マガモ

 アオガラSyanistes caeruleus=9月26日、エストニア・タリンで
 葉の付け根=葉柄付近にできた芽を食べている。背中はシジュウカラに似ているが腹側は全面黄色。
野鳥アオガラ

 ノハラツグミTurdus pilaris=9月27日、フィンランド・ヘルシンキで
 日本では何十年に一度見られる珍鳥である。この鳥が京都府宇治市に現れたときは全国から鳥好きが集まって大騒ぎだった。灰色の頭部が特徴。
野鳥ノハラツグミ

 ウスセグロカモメLarus argentatus=9月27日、フィンランド・ヘルシンキで
 バルト海周辺ではもっとも普通に見られるカモメ科の鳥である。日本(特に関西)で最も普通種であるセグロカモメより背中の灰色がずっと薄い。
野鳥ウスセグロカモメ

 カササギPica pica=フィンランド・ヘルシンキ沖にあるスオメンリンナ島で
野鳥カササギ


 カササギPica pica=フィンランドの首都ヘルシンキ沖のスオメンリンナ島で
野鳥カササギ

 カササギPica pica=フィンランド・ヘルシンキ沖のスオメンリンナ島で
野鳥カササギ

 カモメ=9月27日、フィンランド・スオメンリンナ島で
 幼鳥である
野鳥カモメ

 カワウウスセグロカモメ=9月27日、フィンランド・スオメンリンナ島で
 ウスセグロカモメを撮っていたら、たまたまカワウが通過してツー・ショットになった。
野鳥ウスセグロカモメ

 ウスセグロカモメLarus argentatus=9月27日、フィンランド・スオメンリンナ島で
 飛翔写真なので翼先の黒班が裏表ともよく判る。
ウスセグロカモメ

 ハイイロガラスCorvus cornix=9月27日、フィンランド・スオメンリンナ島で
野鳥ハイイロガラス

 イエスズメPasser domesticus=9月27日、フィンランド・ヘルシンキで
 ここ、石畳の広場で開かれていた屋台マーケットが閉店した午後、食べ物が堕ちているらしく、イエスズメが多数集まって、石の隙間をつついていた。
野鳥イエスズメ

 シジュウカラParus major=9月29日、ロシア・ウラジーミルで
野鳥シジュウカラ

 ニシコクマルガラスCorvus monedula=9月30日、ロシア・スーズダリで
フィンランド、ロシア、東欧のニシコクマルガラスは首に白い班があり、亜種soemmerringiiです。
一方、西欧、南欧のニシコクマルガラスは首に白斑は無く亜種spermologusとされます。
野鳥ニシコクマルガラス

 ミヤマガラスCorvus frugilegus=9月30日、ロシア・スーズダリで
ミヤマガラスは嘴基部が白く、しばしば頭頂部が上に尖っています。
ミヤマガラス

 シジュウカラParus major=9月30日、ロシア・スーズダリで
 日本のシジュウカラと同亜種とされているが、日本のシジュウカラは腹部が白いが、欧州のシジュウカラは腹部が黄色い。
野鳥シジュウカラ

 スズメPasser montanus=10月1日、ロシア・スーズダリで
スーズダリのスズメ

 ホシムクドリSturnus vulgaris=10月3日、ロシア・モスクワで
英語ではStarling。西欧でムクドリと言えばホシムクドリを指す。写真の固体は成鳥冬羽である。夏羽は全身がもっと黒く星班が目立たない。
モスクワ市街地のホシムクドリ

 イエスズメPasser domesticus=10月3日、ロシア・モスクワで
イエスズメたちがテーブルに集まってきました

この旅で撮影した野鳥は15種であった。

帰国のためモスクワから中継地ヘルシンキへ2012/02/28 21:37

 フィンエアーのモスクワ-ヘルシンキ-関空便で帰国します。モスクワ発12:50のAY154に乗るため、シェレメチェボ国際空港のフィンエアーカウンターに10:50着を念頭に行動しています。モスクワのベラルスキー駅10:00発のアエロエクスプレスに乗らなければなりません。十分待ちあうように余裕を持ってホテルを出たはずですが、地下鉄ベラルスカヤ駅に着いたら9時40分ごろになっていました。地下鉄駅を出て郊外列車の出るベラルスキー駅に向かいました。なかなかアエロエクスプレスのホームが見つかりません。あせってきました。駅で詳しそうなオフィシャル系の人を探してたずねました。「シェレメチェヴォか?真っ直ぐ行って左へ曲がってトレーチー(3番)だ!」。外へ出て分ったのですが、今まで4番の建物の中に居ました。
 左へ行くと3番の建物がありました。中へ入るとアエロエクスプレスのホームがありました。赤い車体の列車も停まっています。ホットしました。自動券売機で切符を買うのですが、中々ルーブル紙幣を認識してくれません。何度も差し入れては戻されやっと認識してくれました。切符は320ルーブル(800円)です。券売機から出てきた切符はまるでスーパーのレシートです。レジのレシートみたいですが、切符に注意書きがありますように、終点まで捨てずに持っていなければなりません!
アエロエクスプレスの切符

 10:00ベラルスキーを発車して10:35にシェレメチェヴォに着きます。列車を降りて前方へ真っ直ぐ5分ほど進むとターミナルDに着きます。
 ターミナルDはアエロフロートとそのグループ会社だけの専用です。フィンエアーはアエロフロートと同じグループではありませんが、モスクワでの業務をアエロフロートが代行しているのでターミナルDを使用できるのです。
アエロエクスプレスでシェレメチェヴォ空港へ到着

 フィンエアーのカウンター(実はアエロフロートがカウンター業務を代行している)でトランクを預けてしまってから、手荷物をフィルムシートでぐるぐる巻きにするラッピングサービスがあるのを見つけました。最近流行のソフトビニール系トランクですが接着が剥がれて裂け目ができているのです。このぐるぐる巻きを頼みたかったのですが、発見が遅れました。
空港の手荷物ラッピング業

 フィンエアーAY154便への搭乗開始は12:20で離陸までまだ時間があります。客室乗務員がフィンランドの新聞各紙を配ってくれます。International Herald Tribune(ヘラルド・トリビューンの国際版)を選びました。旅の途中ではニュースなどまったく見たり聞いたりしていません。久しぶりに新聞を見ると新鮮です。
フィンエアー機内で離陸前、新聞を配るCA

 ヘルシンキ・ヴァンター国際空港は濃霧に包まれていて全てがかすんでいます。いくら濃霧でも現代の航空機は離発着できるのでしょう(多分)。
 フィンエアーの関空行きAY77便は16:35搭乗開始で17:20離陸です。時間はかなりありますが、ターミナルの免税店で買物をして過ごしました。ユーロは全て使い切っているので買物はクレジットカードで済まします。

お土産は全て口に入れる食べ物と飲み物です。
 フィンランディア(50.5%ウォッカ)1リットルボトル=24.20ユーロ
 “芸者”チョコレート(フィンランドの有名な菓子メーカー)=14.60ユーロ
 トラウト温燻(TROUT HOT SMOKED)=14.57ユーロ
 シニネン・ソーセージ=2.91ユーロ
フィンランドは付加価値税(消費税)が非常に高く23%です。とても買物をする気になれません。空港内の免税ショップでは税金の心配がないので購買意欲が高まります。

 雰囲気のよさそうなバーがあったのでビールを飲みに入ったのですが現金しか使えません。それもユーロのみです。US$はかなり持っているのですが。店のマダムに頼み込んでドルで受け取ってもらい、ソーセージをつまみに旨いビールが飲めました。

 AY77便では、機内食を食べたら寝るだけです。狭いエコノミーのシートですが、うつらうつらしながらも何とか寝ていました。5日午前8時55分、関空到着です。旅は無事終了です。

モスクワぶらぶら歩き(6)2012/02/27 22:03

 ブリヌイの昼食を終えて、ホテルへ帰るため、アルバート通りを東北東へ歩いていきます。路上にシートを広げて何かを商いしている人がいます。平日の午後4時、西日が通りを明るく照らしています。
アルバート通り

 路上でチェスを指しています。真剣勝負(現金を賭ける勝負)なるか単なる娯楽試合なのか分りません。日本でも昔、繁華街で将棋指しが居て周りを男たちが取り囲んでいる場面を見かけましたが、あれは金が掛かっていたのだと思っています。
アルバート通りで街頭チェス

 アルバート通りの東端に近付いてきました。アルバーツカヤ駅から地下鉄でホテルへ戻ります。街を歩いている人の服装を見てください。ジーンズをはいている人が多いですね。外国では目立たないように現地の人の服装に合わせるのが原則です。荷物を減らすためもあって、私は旅の間中、一本のジーンズで通しました。
アルバート通り

 巨大なホテル・コスモスに戻ってきました。ホテルの真正面に建つ大きな銅像はフランス大統領を長年務めたドゴール将軍です。なぜフランス大統領がロシアのホテルのシンボルなんでしょうか?理由が分りません。それにしてもすごい青空です。
ホテル・コスモス正面に建つドゴール将軍像

 ホテルの上層階から眺めたモスクワの住宅地風景です。田舎に行くと一戸建てが普通ですが、モスクワで一戸建住宅は見たことがありません。日本の団地のように5階~8階建ての集合住宅です。集合住宅内の一区分所有部分をквартираクバルチーラと呼びます。
 午後5時半、夕陽に住宅群がオレンジ色に染まっています。
モスクワの団地風景

 夜、マトリョーシカ博物館で購入したホールイの細密画小箱を取り出して観賞しています。小箱の下部に書かれた文字は"Лони"(作品名です。лонь ローニ=鹿の一種でダマシカ。雌雄2頭なので複数形лони)、"Холуй"(ホールイは産地名です。パレフと並んで有名です。)、"худ.Костерина"(画家の名で、Исполнила Костерина イスポルニーラ・コスチェリーナです。)
 この作品の寸法は135mm-85mm-35mm。重量は400g。
 1万円ほどで買いましたが、定価は8400ルーブルです。ドルやユーロの外貨もクレジットカードも使えないので、持っていたルーブル全部を吐き出してぎりぎり買えました。
ホールイで作られた細密画小箱

明日は帰国日です。荷造りは終わりました。遅れないように目覚ましをセットしました。

モスクワぶらぶら歩き(5)2012/02/26 17:46

 マトリョーシカ博物館を後にして、元の道を戻ります。レオンチエフスキー小道を南下、ニキーツキー並木道を南下。次にモスクワで最大級の書店Дом книгиドーム・クニーギに立ち寄るためНовый Арбат улица 新アルバート通りを西進します。その曲がり角に白亜に緑の屋根が鮮やかな教会がありました。Церковь Симеона Столпника на Поварской ポヴァルスカヤ通りのシメオン柱頭行者教会というらしいです。新アルバート通りとポヴァルスカヤ通りの接点、小高い盛り土の上に建っています。
モスクワ・ポヴァルスキー通りの教会

 教会の建つ盛り土は芝生で覆われているのですが、その上で数匹の鳥がちょこちょこと動いています。ホシムクドリです。日本で見かけたら珍鳥ですが、ヨーロッパではムクドリの仲間では一番多い種です。土に嘴を突き刺して餌を探しています。ミミズでもいるのでしょうか。
モスクワ市街地のホシムクドリ

 書店ドーム・クニーギで本を眺めて長居をしました。写真を多用した豪華料理本とか、語学書とかに触手が動いたのですが、荷物が増えることを考えて結局やめました。薄くて軽いモスクワ・ツーリストマップと露英並列表記のアーサー・コナン・ドイル著「バスカヴィル家の犬(露英両国語の朗読CD付き)」を260ルーブルで買いました。

 その後、再びアルバート通りに戻りました。もう午後4時前です。昼食をまだ食べていません。ブリヌイの専門店Теремокチリモークで昼食を摂るためです。блиныブリヌイはクレープのように溶いた小麦粉を薄く展ばして焼き上げ、様々な具を包んだ食べ物です。写真奥、赤い天蓋の張り出した店がチリモークです。
アルバート通りのブリヌイ専門レストラン

 赤い天蓋と透明ビニールシートの壁で包まれた中はテーブルや椅子を並べたスペースで、その間を通って奥の建物に入っていくと注文カウンターや厨房があります。カウンターで注文したのは、一番高いイクラ入りブリヌイ Блин с красной икрой 261ルーブル、野菜ボルシチスープБолщ постный 89ルーブル、“アテネ”サラダСалат "Афинский" 96ルーブルの3点で合計446ルーブルです。イクラ入りを注文したので1100円ほどになってしまいました。
ブリヌイ、ボルシチ、サラダの昼食

 食べ始めると、イエスズメたちがテーブルに集まってきました。客が食べ物を与えるのでしょうか。あるいは食べこぼしを狙っているのでしょうか。食べ終わって客が帰った後、放置されるお皿の残り物を待っているのでしょうか。日本にはイエスズメは居ません。都市でも農村でもスズメだけですが、ヨーロッパでは都市部はイエスズメ、田舎はスズメと住み分けています。
 椅子の背もたれのБАЛТИКАバルチカはロシアで一番メジャーなビールの商標です。
イエスズメたちがテーブルに集まってきました