「造幣局 桜の通り抜け」へ行きました。最寄り駅は「大阪城北詰」駅 ― 2013/04/20 23:27
ずっと昔、大阪へ学生時代の友人が遠方から訪ねて来た時、大阪のどこへ案内してよいものか困りました。京都や奈良と違って大阪には名所旧跡のたぐいがありません。「食い倒れ」と言いましても、別段珍しい食があるわけでもありません。やっと思いついて遠方より来た友を連れて行ったのは丼池(どぶいけ)筋と呼ばれる繊維問屋街です。商都大阪の象徴です。江戸時代以来、船場と呼ばれた地区にあり、繊維を扱う大小の商社や問屋が軒を連ねていました。当時は、日本最大級の繊維問屋街でしたが、21世紀の現在は、日本の繊維産業全体の衰退もあって一部はシャッター通り化しています。
かように大阪には名所がありません。その中で、「造幣局 桜の通り抜け」だけは季節限定ではありますが、名所と呼べる場所です。開放される期間がたったの一週間なのが惜しくもあり、逆に価値を高めているのかもしれません。今年は4月16日~22日です。
かように大阪には名所がありません。その中で、「造幣局 桜の通り抜け」だけは季節限定ではありますが、名所と呼べる場所です。開放される期間がたったの一週間なのが惜しくもあり、逆に価値を高めているのかもしれません。今年は4月16日~22日です。
出かけるに当たって最寄り駅を調べました。JR東西線の大阪城北詰駅が一番近いようです。一度も降りたことが無い駅です。天王寺駅から環状線内回り(逆時計回り)に乗車、京橋駅で乗り換えて一駅です。JR京橋駅で降りたのですが、京橋から西へ向かう東西線がどこにあるのか見つかりません。東へ向かう学研都市線は案内があるのですが・・・
学研都市線・・・昔、片町線と呼んでいた路線のはずです。東へ向かうと鴫野(しぎの)や忍ヶ丘(しのぶがおか)、西へ一駅で終点片町駅だったはずです。この案内板を見る限り西へ向かう東西線は見当たりません。あれれ、どうしたものか。相当迷いました。
学研都市線・・・昔、片町線と呼んでいた路線のはずです。東へ向かうと鴫野(しぎの)や忍ヶ丘(しのぶがおか)、西へ一駅で終点片町駅だったはずです。この案内板を見る限り西へ向かう東西線は見当たりません。あれれ、どうしたものか。相当迷いました。
「通り抜け」の帰りにまた大阪城北詰駅から東西線に乗って京橋駅で環状線外回りに乗り換えました。知らなかったのですが、東西線と学研都市線は同じ路線だったんですね。京橋駅を境に東行きが学研都市線、西行きが東西線と路線名が変わるのです。それから環状線の内回りホームからは東行きの学研都市線へ、外回りホームからは西行きの東西線ホームへ直結していて、その逆は行きにくい構造になっています。東西線が初めての利用だったので認識不足でした。
「桜の通り抜け」で見たサクラはまた次に書きます。
「桜の通り抜け」で見たサクラはまた次に書きます。
ヘルシンキ-タリン-モスクワの旅で出会った野鳥たち ― 2012/02/29 21:15
今回の旅は、フィンランドのヘルシンキに到着後、エストニアのタリンにフェリーで日帰り旅行に出かけ、再びヘルシンキで観光、その後、ロシアの首都モスクワへ飛び、モスクワの北東に位置する「黄金の環」の都市ウラジーミルとスーズダリとセルギエフ・パサートを訪ね、モスクワから帰国する11日間の行程だった。
野鳥の旅ではないので、たまたま観光の途中で目に付いた鳥たちにレンズを向けたのが以下に紹介する留鳥たちである。現地ではもっともありふれた鳥たちだが、日本では見かけないか、まれに迷鳥として飛来する鳥たちも含まれる。
ハイイロガラスCorvus cornix=9月26日、エストニア・タリンで
野鳥の旅ではないので、たまたま観光の途中で目に付いた鳥たちにレンズを向けたのが以下に紹介する留鳥たちである。現地ではもっともありふれた鳥たちだが、日本では見かけないか、まれに迷鳥として飛来する鳥たちも含まれる。
ハイイロガラスCorvus cornix=9月26日、エストニア・タリンで
ユリカモメ=9月26日、エストニア・タリンで
マガモ=9月26日、エストニア・タリンで
渡り鳥ではなく留鳥化しているケースもある。
アオガラSyanistes caeruleus=9月26日、エストニア・タリンで
葉の付け根=葉柄付近にできた芽を食べている。背中はシジュウカラに似ているが腹側は全面黄色。
ノハラツグミTurdus pilaris=9月27日、フィンランド・ヘルシンキで
日本では何十年に一度見られる珍鳥である。この鳥が京都府宇治市に現れたときは全国から鳥好きが集まって大騒ぎだった。灰色の頭部が特徴。
ウスセグロカモメLarus argentatus=9月27日、フィンランド・ヘルシンキで
バルト海周辺ではもっとも普通に見られるカモメ科の鳥である。日本(特に関西)で最も普通種であるセグロカモメより背中の灰色がずっと薄い。
カササギPica pica=フィンランド・ヘルシンキ沖のスオメンリンナ島で
カモメ=9月27日、フィンランド・スオメンリンナ島で
幼鳥である
カワウとウスセグロカモメ=9月27日、フィンランド・スオメンリンナ島で
ウスセグロカモメを撮っていたら、たまたまカワウが通過してツー・ショットになった。
ウスセグロカモメLarus argentatus=9月27日、フィンランド・スオメンリンナ島で
飛翔写真なので翼先の黒班が裏表ともよく判る。
ハイイロガラスCorvus cornix=9月27日、フィンランド・スオメンリンナ島で
イエスズメPasser domesticus=9月27日、フィンランド・ヘルシンキで
ここ、石畳の広場で開かれていた屋台マーケットが閉店した午後、食べ物が堕ちているらしく、イエスズメが多数集まって、石の隙間をつついていた。
ニシコクマルガラスCorvus monedula=9月30日、ロシア・スーズダリで
フィンランド、ロシア、東欧のニシコクマルガラスは首に白い班があり、亜種soemmerringiiです。
一方、西欧、南欧のニシコクマルガラスは首に白斑は無く亜種spermologusとされます。
シジュウカラParus major=9月30日、ロシア・スーズダリで
日本のシジュウカラと同亜種とされているが、日本のシジュウカラは腹部が白いが、欧州のシジュウカラは腹部が黄色い。
ホシムクドリSturnus vulgaris=10月3日、ロシア・モスクワで
英語ではStarling。西欧でムクドリと言えばホシムクドリを指す。写真の固体は成鳥冬羽である。夏羽は全身がもっと黒く星班が目立たない。
この旅で撮影した野鳥は15種であった。
帰国のためモスクワから中継地ヘルシンキへ ― 2012/02/28 21:37
フィンエアーのモスクワ-ヘルシンキ-関空便で帰国します。モスクワ発12:50のAY154に乗るため、シェレメチェボ国際空港のフィンエアーカウンターに10:50着を念頭に行動しています。モスクワのベラルスキー駅10:00発のアエロエクスプレスに乗らなければなりません。十分待ちあうように余裕を持ってホテルを出たはずですが、地下鉄ベラルスカヤ駅に着いたら9時40分ごろになっていました。地下鉄駅を出て郊外列車の出るベラルスキー駅に向かいました。なかなかアエロエクスプレスのホームが見つかりません。あせってきました。駅で詳しそうなオフィシャル系の人を探してたずねました。「シェレメチェヴォか?真っ直ぐ行って左へ曲がってトレーチー(3番)だ!」。外へ出て分ったのですが、今まで4番の建物の中に居ました。
左へ行くと3番の建物がありました。中へ入るとアエロエクスプレスのホームがありました。赤い車体の列車も停まっています。ホットしました。自動券売機で切符を買うのですが、中々ルーブル紙幣を認識してくれません。何度も差し入れては戻されやっと認識してくれました。切符は320ルーブル(800円)です。券売機から出てきた切符はまるでスーパーのレシートです。レジのレシートみたいですが、切符に注意書きがありますように、終点まで捨てずに持っていなければなりません!
10:00ベラルスキーを発車して10:35にシェレメチェヴォに着きます。列車を降りて前方へ真っ直ぐ5分ほど進むとターミナルDに着きます。
ターミナルDはアエロフロートとそのグループ会社だけの専用です。フィンエアーはアエロフロートと同じグループではありませんが、モスクワでの業務をアエロフロートが代行しているのでターミナルDを使用できるのです。
左へ行くと3番の建物がありました。中へ入るとアエロエクスプレスのホームがありました。赤い車体の列車も停まっています。ホットしました。自動券売機で切符を買うのですが、中々ルーブル紙幣を認識してくれません。何度も差し入れては戻されやっと認識してくれました。切符は320ルーブル(800円)です。券売機から出てきた切符はまるでスーパーのレシートです。レジのレシートみたいですが、切符に注意書きがありますように、終点まで捨てずに持っていなければなりません!
10:00ベラルスキーを発車して10:35にシェレメチェヴォに着きます。列車を降りて前方へ真っ直ぐ5分ほど進むとターミナルDに着きます。
ターミナルDはアエロフロートとそのグループ会社だけの専用です。フィンエアーはアエロフロートと同じグループではありませんが、モスクワでの業務をアエロフロートが代行しているのでターミナルDを使用できるのです。
フィンエアーのカウンター(実はアエロフロートがカウンター業務を代行している)でトランクを預けてしまってから、手荷物をフィルムシートでぐるぐる巻きにするラッピングサービスがあるのを見つけました。最近流行のソフトビニール系トランクですが接着が剥がれて裂け目ができているのです。このぐるぐる巻きを頼みたかったのですが、発見が遅れました。
フィンエアーAY154便への搭乗開始は12:20で離陸までまだ時間があります。客室乗務員がフィンランドの新聞各紙を配ってくれます。International Herald Tribune(ヘラルド・トリビューンの国際版)を選びました。旅の途中ではニュースなどまったく見たり聞いたりしていません。久しぶりに新聞を見ると新鮮です。
ヘルシンキ・ヴァンター国際空港は濃霧に包まれていて全てがかすんでいます。いくら濃霧でも現代の航空機は離発着できるのでしょう(多分)。
フィンエアーの関空行きAY77便は16:35搭乗開始で17:20離陸です。時間はかなりありますが、ターミナルの免税店で買物をして過ごしました。ユーロは全て使い切っているので買物はクレジットカードで済まします。
お土産は全て口に入れる食べ物と飲み物です。
フィンランディア(50.5%ウォッカ)1リットルボトル=24.20ユーロ
“芸者”チョコレート(フィンランドの有名な菓子メーカー)=14.60ユーロ
トラウト温燻(TROUT HOT SMOKED)=14.57ユーロ
シニネン・ソーセージ=2.91ユーロ
フィンランドは付加価値税(消費税)が非常に高く23%です。とても買物をする気になれません。空港内の免税ショップでは税金の心配がないので購買意欲が高まります。
雰囲気のよさそうなバーがあったのでビールを飲みに入ったのですが現金しか使えません。それもユーロのみです。US$はかなり持っているのですが。店のマダムに頼み込んでドルで受け取ってもらい、ソーセージをつまみに旨いビールが飲めました。
AY77便では、機内食を食べたら寝るだけです。狭いエコノミーのシートですが、うつらうつらしながらも何とか寝ていました。5日午前8時55分、関空到着です。旅は無事終了です。
モスクワぶらぶら歩き(6) ― 2012/02/27 22:03
ブリヌイの昼食を終えて、ホテルへ帰るため、アルバート通りを東北東へ歩いていきます。路上にシートを広げて何かを商いしている人がいます。平日の午後4時、西日が通りを明るく照らしています。
路上でチェスを指しています。真剣勝負(現金を賭ける勝負)なるか単なる娯楽試合なのか分りません。日本でも昔、繁華街で将棋指しが居て周りを男たちが取り囲んでいる場面を見かけましたが、あれは金が掛かっていたのだと思っています。
アルバート通りの東端に近付いてきました。アルバーツカヤ駅から地下鉄でホテルへ戻ります。街を歩いている人の服装を見てください。ジーンズをはいている人が多いですね。外国では目立たないように現地の人の服装に合わせるのが原則です。荷物を減らすためもあって、私は旅の間中、一本のジーンズで通しました。
巨大なホテル・コスモスに戻ってきました。ホテルの真正面に建つ大きな銅像はフランス大統領を長年務めたドゴール将軍です。なぜフランス大統領がロシアのホテルのシンボルなんでしょうか?理由が分りません。それにしてもすごい青空です。
ホテルの上層階から眺めたモスクワの住宅地風景です。田舎に行くと一戸建てが普通ですが、モスクワで一戸建住宅は見たことがありません。日本の団地のように5階~8階建ての集合住宅です。集合住宅内の一区分所有部分をквартираクバルチーラと呼びます。
午後5時半、夕陽に住宅群がオレンジ色に染まっています。
夜、マトリョーシカ博物館で購入したホールイの細密画小箱を取り出して観賞しています。小箱の下部に書かれた文字は"Лони"(作品名です。лонь ローニ=鹿の一種でダマシカ。雌雄2頭なので複数形лони)、"Холуй"(ホールイは産地名です。パレフと並んで有名です。)、"худ.Костерина"(画家の名で、Исполнила Костерина イスポルニーラ・コスチェリーナです。)
この作品の寸法は135mm-85mm-35mm。重量は400g。
1万円ほどで買いましたが、定価は8400ルーブルです。ドルやユーロの外貨もクレジットカードも使えないので、持っていたルーブル全部を吐き出してぎりぎり買えました。
明日は帰国日です。荷造りは終わりました。遅れないように目覚ましをセットしました。
モスクワぶらぶら歩き(5) ― 2012/02/26 17:46
マトリョーシカ博物館を後にして、元の道を戻ります。レオンチエフスキー小道を南下、ニキーツキー並木道を南下。次にモスクワで最大級の書店Дом книгиドーム・クニーギに立ち寄るためНовый Арбат улица 新アルバート通りを西進します。その曲がり角に白亜に緑の屋根が鮮やかな教会がありました。Церковь Симеона Столпника на Поварской ポヴァルスカヤ通りのシメオン柱頭行者教会というらしいです。新アルバート通りとポヴァルスカヤ通りの接点、小高い盛り土の上に建っています。
教会の建つ盛り土は芝生で覆われているのですが、その上で数匹の鳥がちょこちょこと動いています。ホシムクドリです。日本で見かけたら珍鳥ですが、ヨーロッパではムクドリの仲間では一番多い種です。土に嘴を突き刺して餌を探しています。ミミズでもいるのでしょうか。
書店ドーム・クニーギで本を眺めて長居をしました。写真を多用した豪華料理本とか、語学書とかに触手が動いたのですが、荷物が増えることを考えて結局やめました。薄くて軽いモスクワ・ツーリストマップと露英並列表記のアーサー・コナン・ドイル著「バスカヴィル家の犬(露英両国語の朗読CD付き)」を260ルーブルで買いました。
その後、再びアルバート通りに戻りました。もう午後4時前です。昼食をまだ食べていません。ブリヌイの専門店Теремокチリモークで昼食を摂るためです。блиныブリヌイはクレープのように溶いた小麦粉を薄く展ばして焼き上げ、様々な具を包んだ食べ物です。写真奥、赤い天蓋の張り出した店がチリモークです。
赤い天蓋と透明ビニールシートの壁で包まれた中はテーブルや椅子を並べたスペースで、その間を通って奥の建物に入っていくと注文カウンターや厨房があります。カウンターで注文したのは、一番高いイクラ入りブリヌイ Блин с красной икрой 261ルーブル、野菜ボルシチスープБолщ постный 89ルーブル、“アテネ”サラダСалат "Афинский" 96ルーブルの3点で合計446ルーブルです。イクラ入りを注文したので1100円ほどになってしまいました。
食べ始めると、イエスズメたちがテーブルに集まってきました。客が食べ物を与えるのでしょうか。あるいは食べこぼしを狙っているのでしょうか。食べ終わって客が帰った後、放置されるお皿の残り物を待っているのでしょうか。日本にはイエスズメは居ません。都市でも農村でもスズメだけですが、ヨーロッパでは都市部はイエスズメ、田舎はスズメと住み分けています。
椅子の背もたれのБАЛТИКАバルチカはロシアで一番メジャーなビールの商標です。
モスクワぶらぶら歩き(4) ― 2012/02/25 20:06
ニキーツキー並木通りの北端まで歩いたところは7差路になっていた。そのまま北へ伸びる道はトヴェルスコイ並木通りと名前が変わる。西には2方向へ、東には3方向へ道が始まる。この7差路に面して立っている建物がイタル・タス通信社です。マトリョーシカ博物館へはイタル・タス通信社の東側を北東に伸びるЛеонтьевский переулок レオンチェフスキー小道を進みます。
横断歩道を2回渡って旧タス通信社の前に来ました。世界にソビエト連邦のニュースを発信し続けた旧タス通信社だけあって社屋入口には、りっぱな地球をかたどったモニュメント付き社名看板が掲げられています。地球を取り巻く帯にはИНФОРМАЦИОННОЕ ТЕЛЕГРАФНОЕ АГЕНТСТВО РОССИИ ロシア情報電報通信社と書かれています。頭文字を取ったИТАРの後に旧社名のТАССを付けたИТАР-ТАССイタル・タス通信社が現在の社名です。
イタル・タス通信社屋の壁に設置された写真掲示板です。「20 лет без СССР ソビエト連邦無き20年」のタイトルで20年前、ゴルバチョフからエリツィンへ移行した激動の場面を写した報道写真が貼られていました。
行過ぎないように左手の建物に注意しながらレオンチェフスキー小道を歩いて行くとそれらしい建物がありましたが、建物入口にマトリョーシカ博物館は裏に回れとの紙片が貼られています。裏に回ると中庭があり駐車場になっています。マトリョーシカ博物館だと思った建物(写真左の薄黄色い二階屋)ではなく、駐車場突き当たりの別のビルに入口がありました。
入口のドアの一番りっぱな看板はНОТАРИАЛЬНАЯ КОНТОРА公証人役場と書かれています。マトリョーシカ博物館の表示の方は貧弱です。
ビル一階に入ると警備員がいて、あっちだと指示された経路にそって二階へ上がるとマトリョーシカ博物館の表示のあるドアが見つかりました。中は教室2つ分ぐらいの広さで、確かにマトリョーシカが棚にずらりと並んでいますが、いささか期待していた姿より貧弱な印象です。
ビルの一室がマトリョーシカ博物館というのはどうも腑に落ちません。表通りに面した薄黄色い古風な二階屋が本来のマトリョーシカ博物館ではないのでしょうか?何らかの理由があって隣のビルに臨時に間借りしているのではないでしょうか?
疑問を解くため今、ロシアのウェブサイトを色々調べました。やはり表通りの歴史を感じさせる古風な二階建てが本来のマトリョーシカ博物館でした!
展示室に見学者が書き込むノートが置いてありました。開いて見ると日本の方も何人か訪れて日本語で感想を書いていました。
日本のこけしをヒントにしてマトリョーシカが誕生したということで、こけしも何体か展示されていました。
中年婦人が一人で博物館の管理をしていました。お土産に、上品で丁寧に絵付けされた作家物のマトリョーシカを探したのですが、気に入ったものがありません。代わりに細密画の小箱を買いました。一般にパレフと呼ばれていますが、パレフは生産地の村の名前です。他に3つの生産地が知られています。
開館日時は月~木曜日が10:00-16:00、金曜日が10:00-15:00、土日曜日が休館です。元の開館時間より2時間早く閉まります。元は土曜日も開館日でした。
ビルの一室がマトリョーシカ博物館というのはどうも腑に落ちません。表通りに面した薄黄色い古風な二階屋が本来のマトリョーシカ博物館ではないのでしょうか?何らかの理由があって隣のビルに臨時に間借りしているのではないでしょうか?
疑問を解くため今、ロシアのウェブサイトを色々調べました。やはり表通りの歴史を感じさせる古風な二階建てが本来のマトリョーシカ博物館でした!
展示室に見学者が書き込むノートが置いてありました。開いて見ると日本の方も何人か訪れて日本語で感想を書いていました。
日本のこけしをヒントにしてマトリョーシカが誕生したということで、こけしも何体か展示されていました。
中年婦人が一人で博物館の管理をしていました。お土産に、上品で丁寧に絵付けされた作家物のマトリョーシカを探したのですが、気に入ったものがありません。代わりに細密画の小箱を買いました。一般にパレフと呼ばれていますが、パレフは生産地の村の名前です。他に3つの生産地が知られています。
開館日時は月~木曜日が10:00-16:00、金曜日が10:00-15:00、土日曜日が休館です。元の開館時間より2時間早く閉まります。元は土曜日も開館日でした。
モスクワぶらぶら歩き(3) ― 2012/02/24 16:53
アルバート通りを東端まで歩き終え、左折して、ブリヴァール環状道路を北へ向かって歩きます。ブリヴァールбульварは並木道の意味で道路の中央分離帯が並木道になっています。
ブリヴァール環状道路を北上したらすぐ、左手に小庭園が現れました。その庭園の真ん中付近に銅像が立っています。文豪ゴーゴリの記念碑Памятник Гоголюでした。
ブリヴァール環状道路を北上したらすぐ、左手に小庭園が現れました。その庭園の真ん中付近に銅像が立っています。文豪ゴーゴリの記念碑Памятник Гоголюでした。
その小庭園への入口付近です。ここから庭に入ると正面にゴーゴリの銅像が、右手にはゴーゴリが暮らし、そして亡くなった大きな邸宅が建っています。この建物は現在、ゴーゴリ記念博物館として使われています。
ゴーゴリ記念博物館の側面はブリヴァール環状道路に面していて、壁面にゴーゴリを記念するプレートが取り付けられています。プレートにはВ ЭТОМ ДОМЕ с 1848 по 1852 г. ЖИЛ И УМЕР НИКОЛАЙ ВАСИЛЬЕВИЧ ГОГОЛЬ「この家で1848年から1852年まで暮らしそして亡くなったニコライ・ワシリエヴィッチ・ゴーゴリ」と書かれています。住所は二キーツキー・ブリヴァール7Аです。
更に歩くと、建物の壁面に記念プレートがまたまた取り付けられていました。
ソビエト連邦英雄で北極探検艦隊の指揮官だったМихаил Прокофьевич Белоусов ミハイール・プラコーフィエヴィッチ・ベラウーサフが1937年から1946年まで暮らした家の壁面に取り付けられた記念碑です。日本では知られていない人ですが、ソビエト時代には切手にもなっています。
またまた、建物壁面を飾るメモリアル・プレートです。最初のソビエト連邦英雄に選ばれた航空機パイロットで後に空軍大将になったアナトーリー・ワシーリエフ・リビヂェーフスキーが1938年から1983年までここで暮らしていたと書かれています。この人もソビエト時代の切手に描かれています。
日本には、このように建物の外壁に「誰々が何年から何年まで暮らしていた」と書いた記念プレートを見ることはほとんどありません。文豪の足跡を尋ねる文学散歩が好きで東京の文京区などをよく歩きましたが、文豪たちの旧居など一軒も残っていません。この付近に住んでいたということしか分りません。建物が木造で短期間で取り壊され姿を変えてしまうからでしょうか。
一方、ロシアに限らずヨーロッパ各国の街歩きをすると建物に取り付けられた著名人のメモリアル・プレートを頻繁に見かけます。建物や街並みの保存には、どの国も大変熱心です。戦争で破壊されても元の姿に時間と費用を掛けても戻しています。
建物が社会のインフラとして幾世代にわたって引き継いでいかれる欧州諸国と建物が使い捨てにされる日本との違いは大きいです。石造と木造の違い、文化の違いと言えばそれまでですが、使い捨ては本当にもったいないことです。
モスクワぶらぶら歩き(2) ― 2012/02/23 11:46
アルバート通りには帝政ロシア時代、貴族の邸宅が立ち並んでいました。ゴルバチョフ時代、ここを訪れたときも、静かな落ち着いた古風なたたずまいが満ちていました。古書店や骨董商も何軒か存在していて、辞書や百科事典を買ったことがあります。建物自体は昔のままなんでしょうが、中身がまったく入れ替わっています。派手な街に変貌していました。
伝統的な古書店が姿を消して、路上に古本の屋台が出ていました。
伝統的な古書店が姿を消して、路上に古本の屋台が出ていました。
昔は無かったと思いますが、アルバート通りに広い場所を使って記念碑が立っていました。
今、ネットで調べたら、1997年に73歳で亡くなったシンガーソングライターの元祖のような方で、Булат Шалвович Окуджаваブラート・シャルヴォヴィッチ・オクジャワさんの記念碑です。詩人で作曲家で自分の曲をギターで弾き語りもしました。「Окуджава」をコピーしてネット検索すると動画サイトに生前の演奏が多数見つかりますよ。
オクジャワ像の横でモデルのような格好でポーズを取る若い女性が現れました。女友達がデジカメを構えています。なぜ記念写真を撮るときに撮り手は少し腰を落とすのでしょうか。ロシア人も日本と同じなんだとおかしくなりました。カメラを顔から放して構える、腰を中途半端に落として構える、どちらもぶれ写真の大いなる要因になるのですが・・。
アルバート通り35番の建物壁面に取り付けられた外貨交換レートを電光表示する看板。このときのレートは、USドルの買いが32.20ルーブル(ドルを持ち込んで現地通過のルーブルが欲しい時)、USドルの売りが32.68ルーブル(使い残したルーブルをドルに戻したい時)。ユーロは買いが43.30ルーブル、売りが43.70ルーブル。
今日2012年2月24日のルーブル円レート(中値)は、1ルーブルが2.71円ですが、2011年10月3日時点では2.35円でした。
建物の壁面に埋め込まれたクレジットカードでお金を借りる端末です。これも昔は無かったものの一つです。ドルやユーロを持参してルーブルに両替するより、クレジットカードでルーブルを引き出した方がレートが良いと利用する旅行者もいるようです。ただ高金利の借金ですから早く返済しないとかえって高くつきます。どこかで聞いた話だが、人気の少ない街頭に設置されたカードローン端末にカードを入れたがお金が出てこなかった。故障と思ってカードだけ取り出してそのまま帰国したら、後日、見に覚えの無い商品購入代金請求が来た。偽モノ端末機にカード情報を読み取られたようだ。できれば金融機関に設置された端末機を使う方が安心だ。
これも昔は決して無かった店舗です。アルバート通りで営業するТАТУ ДРАКОН =刺青(いれずみ)店「ドラゴン」。
アルバート通りを東の端まで歩いていきました。その曲がり角の一等地に大きな店を構える高級レストラン「プラガ」です。黒塗りの外車が次々と横付けされます。主人を下ろした後、車は建物の前の敷地で食事を終えた主が出てくるのを待ちます。旅行者には近寄りがたいレストランです。翻って日本には政財界人が集う料亭という特別な飲食店があり、運転手付きの黒塗り高級車で乗り着けるのが当たり前で、紹介者が無いと相手にされません(近年、政財界の利用が減って様子が変わってきたようです)。
アルバート通りは25年前とは大きく変わっていました。シックで渋い雰囲気が失われ派手になっています。高級、高価な品揃えの店ばかり増えました。昔から車は通らない歩行者天国でしたが、広い道に飲食系仮設店舗が張り出し、通りの美しさと統一感を損ねています。
アルバート通りを歩き終えたので、マトリョーシカ博物館の方へ向かいます。
モスクワぶらぶら歩き(1) ― 2012/02/21 18:49
今日一日で旅も終了です。モスクワぶらぶら歩きで一日を過ごします。
朝起きてからどこへ行こうか考え始めました。持参したガイド本「地球の歩き方‘10~‘11ロシア」をパラパラ見ても、中々決まりません。まず、ホテルの前にある宇宙飛行士記念博物館へ行ってみようと思ったのですが、あいにく月・火曜日が休館で、今日は火曜日。次に民芸品博物館とマトリョーシカ博物館を見に行きたいと思ったのですが、民芸品博物館は火曜日が休館日。結局、マトリョーシカ博物館へ行こうとホテルを出たのは11時を過ぎていました。
マトリョーシカ博物館の地下鉄最寄り駅はПушкинскаяプーシキンスカヤですが、思い出のアルバート通りも歩いて見たかったのでСмоленскаяスモレンスカヤ駅へ向かいます。マトリョーシカ博物館はプーシキンスカヤとスモレンスカヤの間にあり、スモレンスカヤからのほうがかなり遠いのですが、スモレンスカヤで降りるとアルバート通りを歩いて行くことになるのです。
モスクワの地下鉄駅構内は数多くの壁画や彫刻で飾られています。また壁面や床も大理石が多用されていて伝統ある美術館にいるかのようです。今回の旅では、モザイクやレリーフで作られた壁画の写真を撮っていませんでした。最後に遅まきながらスモレンスカヤ駅でシャッターを押しました。
スモレンスカヤ駅のエスカレーターホールЭскалаторный зал станции «Смоленская»天頂部に描かれたモザイク画です。
朝起きてからどこへ行こうか考え始めました。持参したガイド本「地球の歩き方‘10~‘11ロシア」をパラパラ見ても、中々決まりません。まず、ホテルの前にある宇宙飛行士記念博物館へ行ってみようと思ったのですが、あいにく月・火曜日が休館で、今日は火曜日。次に民芸品博物館とマトリョーシカ博物館を見に行きたいと思ったのですが、民芸品博物館は火曜日が休館日。結局、マトリョーシカ博物館へ行こうとホテルを出たのは11時を過ぎていました。
マトリョーシカ博物館の地下鉄最寄り駅はПушкинскаяプーシキンスカヤですが、思い出のアルバート通りも歩いて見たかったのでСмоленскаяスモレンスカヤ駅へ向かいます。マトリョーシカ博物館はプーシキンスカヤとスモレンスカヤの間にあり、スモレンスカヤからのほうがかなり遠いのですが、スモレンスカヤで降りるとアルバート通りを歩いて行くことになるのです。
モスクワの地下鉄駅構内は数多くの壁画や彫刻で飾られています。また壁面や床も大理石が多用されていて伝統ある美術館にいるかのようです。今回の旅では、モザイクやレリーフで作られた壁画の写真を撮っていませんでした。最後に遅まきながらスモレンスカヤ駅でシャッターを押しました。
スモレンスカヤ駅のエスカレーターホールЭскалаторный зал станции «Смоленская»天頂部に描かれたモザイク画です。
同じエスカレーターホールの壁面を飾るモザイク画です。細かい石を埋め込んで絵を作っています。
スモレンスカヤ駅を出て後ろを振り返った写真です。駅の外壁にもレリーフが見られます。
写真中央に黄色い張り紙があります。ラテン文字とキリール文字を混ぜ書きした表現を見つけて驚きましたが、「ANIMAL ДЖAZ」を今ネットで調べると大量にヒットします。結構有名なロックグループのようです。
スモレンスカヤ駅を出るとアルバート通りの西の端です。そこにロシア外務省(旧ソビエト連邦外務省)の特徴あるビルが建っていて、遠くからでもアルバート通りの西の入口を見つける目印になっています。
ロシア外務省の尖塔型ビルの前にアメリカ食文化のシンボル・マクドナルドの大店舗が進出していました。マクドナルドの店舗はモスクワの各所でよく見かけます。
外務省ビルは側面がアルバート通りに面していて、正面はモスクワの外環状線とも言うべき環状道路に面しています。撮影者の背中側に環状道路があります。
ロシア外務省の正面玄関です。鉄の扉の周囲の壁面に石のレリーフが刻まれています。
モスクワの宿=ホテル・コスモスへ戻る ― 2012/02/20 20:06
路線バスでセルギエフ・ポサードを出発したのが4時ごろだったのですが、道路渋滞もあって、モスクワ・ヴェーデンハーへ戻ったのが18時20分すぎでした。
セルギエフ・ポサードのバス停で買ったチケットです。15:48に購入しています。セルギエフ・ポサードからヴェーデンハーまでの乗車券が145ルーブルです。青いボールペンでチェックマークが入っているのは、途中のバス停から乗車券検査係りのおばさんが乗り込んできたときに切符を見せてチェックを受けたからです。
セルギエフ・ポサードのバス停で買ったチケットです。15:48に購入しています。セルギエフ・ポサードからヴェーデンハーまでの乗車券が145ルーブルです。青いボールペンでチェックマークが入っているのは、途中のバス停から乗車券検査係りのおばさんが乗り込んできたときに切符を見せてチェックを受けたからです。
宿舎はヴェーデンハー前のホテル・コスモスです。ヴェーデンハーВДНХは勧業博覧会場と遊園地が合体したような場所で平和大通りПРОСПЕКТ МИРАを挟んでホテル・コスモスが建っています。平和大通りを渡るには地下道を通ります。地下道を通ってホテルの前まで来ると、大通りに事故車が放置されていました。アメ車のシボレーのようです。モスクワは急激なモータリゼーションで渋滞と事故が頻発しています。
客室数2000近い巨大なホテル・コスモスです。モスクワ中心部にはアメリカ資本のホテルチェーンが造った5つ星ホテルが多数進出し、ソビエト時代から続くコスモスのようなホテルは3つ星になっていますが、設備も更新され施設も過不足なく揃っていてすごく割安感があります。
今日の晩飯はホテルの部屋で済ますことにしました。トロイツェ・セルギエフ大修道院自家製のパンКоврижкаカヴリーシカ(左)、ホテル前の果物屋で買ったトマト2個、セルギエフ・ポサードの肉屋で仕入れたベーコンの塊(下)、ヘルシンキ-タリン航路のフェリーで買ったスコッチウィスキーの組み合わせ。
カヴリーシカは少し固めの黒糖蒸しパンと説明されていますが、美味しいです。本当に絶品の味です。また食べたいなあと今も思い出します。それぐらい美味しいです。
トマトは果物に分類されるので、果物屋に置かれていますが、これまた、信じられないぐらい安くて美味しいです。こんなに高品質なトマトがモスクワにあるのが信じられません。往路のフィン・エアーの機内で出た食事の食塩を頂いてきたのでトマトに振り掛けてまるかじりです。
ベーコンは92ルーブル(230円)で買いました。ちょっと塩分は強めですが旨いです。旅に持参のスイス・アーミーナイフで薄く切り取り、スコッチ、フェイマス・グラウスをちびちびやりながらご機嫌になりました。
旅も後一日です。おやすみなさい。






























































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