モスクワぶらぶら歩き(4) ― 2012/02/25 20:06
ニキーツキー並木通りの北端まで歩いたところは7差路になっていた。そのまま北へ伸びる道はトヴェルスコイ並木通りと名前が変わる。西には2方向へ、東には3方向へ道が始まる。この7差路に面して立っている建物がイタル・タス通信社です。マトリョーシカ博物館へはイタル・タス通信社の東側を北東に伸びるЛеонтьевский переулок レオンチェフスキー小道を進みます。
横断歩道を2回渡って旧タス通信社の前に来ました。世界にソビエト連邦のニュースを発信し続けた旧タス通信社だけあって社屋入口には、りっぱな地球をかたどったモニュメント付き社名看板が掲げられています。地球を取り巻く帯にはИНФОРМАЦИОННОЕ ТЕЛЕГРАФНОЕ АГЕНТСТВО РОССИИ ロシア情報電報通信社と書かれています。頭文字を取ったИТАРの後に旧社名のТАССを付けたИТАР-ТАССイタル・タス通信社が現在の社名です。
イタル・タス通信社屋の壁に設置された写真掲示板です。「20 лет без СССР ソビエト連邦無き20年」のタイトルで20年前、ゴルバチョフからエリツィンへ移行した激動の場面を写した報道写真が貼られていました。
行過ぎないように左手の建物に注意しながらレオンチェフスキー小道を歩いて行くとそれらしい建物がありましたが、建物入口にマトリョーシカ博物館は裏に回れとの紙片が貼られています。裏に回ると中庭があり駐車場になっています。マトリョーシカ博物館だと思った建物(写真左の薄黄色い二階屋)ではなく、駐車場突き当たりの別のビルに入口がありました。
入口のドアの一番りっぱな看板はНОТАРИАЛЬНАЯ КОНТОРА公証人役場と書かれています。マトリョーシカ博物館の表示の方は貧弱です。
ビル一階に入ると警備員がいて、あっちだと指示された経路にそって二階へ上がるとマトリョーシカ博物館の表示のあるドアが見つかりました。中は教室2つ分ぐらいの広さで、確かにマトリョーシカが棚にずらりと並んでいますが、いささか期待していた姿より貧弱な印象です。
ビルの一室がマトリョーシカ博物館というのはどうも腑に落ちません。表通りに面した薄黄色い古風な二階屋が本来のマトリョーシカ博物館ではないのでしょうか?何らかの理由があって隣のビルに臨時に間借りしているのではないでしょうか?
疑問を解くため今、ロシアのウェブサイトを色々調べました。やはり表通りの歴史を感じさせる古風な二階建てが本来のマトリョーシカ博物館でした!
展示室に見学者が書き込むノートが置いてありました。開いて見ると日本の方も何人か訪れて日本語で感想を書いていました。
日本のこけしをヒントにしてマトリョーシカが誕生したということで、こけしも何体か展示されていました。
中年婦人が一人で博物館の管理をしていました。お土産に、上品で丁寧に絵付けされた作家物のマトリョーシカを探したのですが、気に入ったものがありません。代わりに細密画の小箱を買いました。一般にパレフと呼ばれていますが、パレフは生産地の村の名前です。他に3つの生産地が知られています。
開館日時は月~木曜日が10:00-16:00、金曜日が10:00-15:00、土日曜日が休館です。元の開館時間より2時間早く閉まります。元は土曜日も開館日でした。
ビルの一室がマトリョーシカ博物館というのはどうも腑に落ちません。表通りに面した薄黄色い古風な二階屋が本来のマトリョーシカ博物館ではないのでしょうか?何らかの理由があって隣のビルに臨時に間借りしているのではないでしょうか?
疑問を解くため今、ロシアのウェブサイトを色々調べました。やはり表通りの歴史を感じさせる古風な二階建てが本来のマトリョーシカ博物館でした!
展示室に見学者が書き込むノートが置いてありました。開いて見ると日本の方も何人か訪れて日本語で感想を書いていました。
日本のこけしをヒントにしてマトリョーシカが誕生したということで、こけしも何体か展示されていました。
中年婦人が一人で博物館の管理をしていました。お土産に、上品で丁寧に絵付けされた作家物のマトリョーシカを探したのですが、気に入ったものがありません。代わりに細密画の小箱を買いました。一般にパレフと呼ばれていますが、パレフは生産地の村の名前です。他に3つの生産地が知られています。
開館日時は月~木曜日が10:00-16:00、金曜日が10:00-15:00、土日曜日が休館です。元の開館時間より2時間早く閉まります。元は土曜日も開館日でした。
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