「信楽 阪井 七 作陶展」で器を購入しました(1)2013/10/05 11:53

 阪神梅田本店美術工芸サロンで開かれた「信楽 阪井 七 作陶展」を見せていただきました。
 案内葉書きに掲載の「信楽穴窯 破れ壺」は開けようとしてできた破れではなく焼成過程で偶然にできたもののようです。焼き物の面白さは土と炎が自ら作り出す意外性にあるのかもしれません。

 今回は信楽焼きの用途自由な器粉引きの取って付きカップの2点を購入しました。

 用途フリーと表示された信楽焼きの器は巨大ぐい飲みの風情で、手で握るように持つと抜群の心地よさがあります。器を上から見ると長楕円形をしていること、指先が引っかかる窪みがあること、信楽焼きのざらついた表面などが手になじみます。
 会場でこの器を掌に納めながら焼酎のお湯割りに向いているなと感じていました。
阪井七(なお)作の信楽焼きフリー杯 阪井七(なお)作の信楽焼きフリー杯 阪井七(なお)作の信楽焼きフリー杯
 信楽焼きは、この緋色(火色)に心躍りますね。この器で沖縄で買ってきた泡盛を7:3に水で割って(水7、泡盛3の割合に薄める)飲んでみたいと思っています。

神戸ビエンナーレ2013 (10月1日~12月1日)が始まりました。2013/10/05 00:18

 「港で出会う芸術祭」ー神戸ビエンナーレ2013(10月1日~12月1日)が始まりました。2年毎に秋の神戸を舞台に開かれる芸術祭も4回目になりすっかり定着してきた感があります。同時並行で各種展覧会やイベントが進行しますが、詳しくは神戸ビエンナーレ事務局のHPに載っています。

 神戸ビエンナーレ2013の一環として開催されている「兵庫・神戸の仲間たち展」を神戸市灘区岩屋中町4丁目のBBプラザ美術館で鑑賞してきました。

 県内限定の公募展となると美術愛好家を増やすことが目的になっているのか作品の質の面で巾がありすぎ、鑑賞してもあまり楽しめないこともありました。

 「兵庫・神戸の仲間たち展」は会場に入って少し見ただけで作品の質の高さに驚かされました。譲っていただけるなら購入したい作品も多数あり興奮しながら見せていただきました。

 この違いは何なんだろう。疑問を美術館の方にぶつけて見ました。「兵庫・神戸の仲間たち展」は公募作品ではなく、美術館からぜひ出品していただきたい画家を選定してお願いしたそうです。102人の画家の方たちも依頼に応えて力作を寄せておられます。美術館にとっても自信を持って有料展示できる作品が集まっています。展示会場が幸せな空間になっていました。
 担当者に更に訊ねました。山田弘委員長以下7名の選考委員会が102名の日本画家・洋画家を選び、ビエンナーレの統一テーマである「さく“saku”」に沿った出品を依頼したので作品はビエンナーレのための新作のはずだそうです。

 102点の作品は前期と後期に分けて展示されます。前期も後期も日本画が13点、洋画が38点の51点です。期間も前後期同数の31日ずつで、通常は月曜休館なのですが、神戸ビエンナーレ期間中は無休で開館されます。

 神戸ビエンナーレ2013のHPに出品画家102名のお名前が掲載されていますが、どなたが前期でだれが後期の展示がわかりませんでした。実際には、ポスターの上段に名前が並ぶ51名が前期で、下段のお名前の方が後期でした。どのように分けたか担当者に伺うと、作品が到着するまで絵のテーマも図柄も分らないので、作者名をあいうえお順に並べ、日本画家26名中、「あ」から「し」まで13名、洋画家も76名中、「あ」から「た」まで38名と機械的に前期・後期に分けたとのこと。2期に分けたのは美術館の展示スペースの制約からで、やはりスペースの関係上、絵のサイズも30号までに制限したそうです。同時開催の現代陶芸展は入れ替え無しで11点の作品が62日間展示されます。
BBプラザ美術館で始まった兵庫・神戸の仲間たち展のポスター


 平日の昼間でしたが熱心な方々が鑑賞に訪れていました。
BBプラザ美術館で始まった兵庫・神戸の仲間たち展(前期)。日本画の展示コーナーで足を止める入場者。左から雲丹亀利彦「夏の刻」、北里桂一「椿図」、小坂敦子「移ろい」、勝部雅子「明けに咲く」、川瀬陽子「地上の星」。
 日本画の展示コーナーで、足を止めて作品に見入る人。 写真の中の作品は、左から雲丹亀利彦「夏の刻」、北里桂一「椿図」、小坂敦子「移ろい」、勝部雅子「明けに咲く」、川瀬陽子「地上の星」です。

 美術館顧問の坂上義太郎氏による展示作品解説「ギャラリートーク」を聞いた。展示の配列には並々ならぬ工夫が凝らされていた。日本画作品の中に花を描いた作品が4点あり、それを春夏秋冬と読み解いて右から左へ順路に沿って並べたのだ。川瀬陽子「地上の星」が春、勝部雅子「明けに咲く」が夏、小坂敦子「移ろい」が秋、北里桂一「椿図」が冬との見立てだ。なるほど、そのような工夫がされていたのか。洋画も含めて全ての作品の配列には意味付けがあったのだ。初めて知った。

陶芸家・阪井 七(なお)さんの個展が9月25日から阪神百貨店で始まります2013/09/13 22:03

 陶芸家・阪井七(なお)さんの新たな作品を披露する個展が大阪・梅田の阪神梅田本店9階美術工芸サロンで9月25日(水)から10月1日(火)にかけて開かれます。
 写真は、阪井七(なお)さんから届いた「信楽 阪井 七(なお) 作陶展」の案内葉書きです。
2013年9月25日から開かれる「信楽 阪井 七(なお) 作陶展」の案内状
 写真の「信楽穴窯 破れ壺」が今回の個展を代表する作品の一つだと思います。この複数の裂け目を作陶のどの行程で入れたのでしょうか。あるいは入ったのでしょうか。また阪井さんに初心者の質問をぶつけてみようと思います。

 この鋭く稲妻のように走る裂け目と自然釉による色合いがいい味わいを出しています。ぜひ展覧会に足を運んで作品を直に拝見し、その味わいを感じたいと思います。

私の絵の師匠は池島勘治郎先生でした2013/08/12 18:15

 大昔、子どもの頃、近くの画塾=絵画教室に通っていました。4年間、絵を習いました。
教えてくださっていた先生の名前がどうしても思い出せず、長い間、もやもやした心持でした。美術界で活躍されている画家だったという印象は子供心に残っていました。

 長い間のもやもやが一瞬で明らかになりました。高校の同窓会名簿を眺めていて、同学年の生徒の名前が目に止りました。彼とは小学生時代、同じ画塾に通っていたなあ・・・と遠い時代のことが浮かんできました。彼、今何をしているんだろう?とネット検索をして見ました。そこで見つけたのです。先生の名前を。

 インターネットの世界、特に検索エンジンの力は、恐ろしくなるほどです。かっては、時間が経過すると全ては人間関係も含めて、忘却の彼方に消えていって二度と遭遇することはありませんでした。ところが今、ネット空間に散らばる情報と各種印刷資料とを組み合わせると、半世紀前に消滅したはずの過去の記憶がまざまざと蘇って来るのです。
 さらに確認するため、1986年8月16日に池島夫人の茂子さんが編集・発行した。『池島勘治郎作品集』を図書館で借りてきて読みました。池島家の住所が南炭屋町になっています。私も同じ町内に住んでいました。1959年に発行された一番古い大阪市南区の住宅地図を図書館で閲覧しました。池島家の裏には西横堀川が流れています。私の記憶にある絵画教室の位置とぴったり一致します。すべてが整合します。私が絵を教えていただいたのは戦前から独立美術協会で活躍した水彩画家の池島勘治郎(いけしまかんじろう K.Ikeshima)先生で間違いありません。
 7歳で初めて教室の机に座った私に先生は、心の中のものを描いてくださいと課題を出されました。森の中にうごめくお化けたちを描きました。最初の絵をすごくほめてくださりうれしかったことを覚えています。花や果物などの静物を描いていると先生が回ってきて筆を入れてくださいます。影を描くのに緑や青を混ぜて筆を入れられたのでびっくりした記憶もあります。

 教室の建物の前には広い庭があり、イチジクの木がたくさん植わっていました。イチジクを頂いて帰ったこともありました。『池島勘治郎作品集』を読むと「四ツ橋付近」の文中に「終戦後すぐイチジクの苗木を2本植えたのが、今では庭一面にひろがって枝もたわわに、実がはじけている。食いつくされぬので近所へおスソ分けする。戦前は庭木を入れても一年も育たなかったが、焦土には草木がよく茂るといわれるのは事実である。」と私の記憶と符号する話が出てきます。

 また、『池島勘治郎作品集』には、長女みちさんの「愛蔵の一枚」という一文があり「私が結婚する時に、父はどの絵を持って行くかと聞きました。私は橋の絵が欲しいと言いました。それが「橋」と題する大正14年帝展入選の20号の絵です。(省略)私が貰って行ったので3月13日の大阪大空襲の際にも焼け残り、本当によかったと思っております。残念ながら他はほとんど灰燼に帰してしまったのですから。」と書かれています。池島家は戦前、戦中、昭和20年3月13日の大空襲を経て、戦後も大阪市南区南炭屋町49番地に住み続けられたことを知りました。大阪大空襲に私の母も遭遇していました。アメリカ軍のB29からの焼夷弾投下で街は焼き尽くされ、炎に追われて地下鉄心斎橋駅に逃げ込んだと話していました。

 『大阪市全商工住宅案内図帳 南区 昭和34年版 住宅協会出版部編』から南炭屋町を引用しました。1959年(昭和34年)には、南炭屋町は旅館・ホテルといった業種に塗り潰されかかっていますが、池島家は元の西横堀川沿いの場所に存在しています。
1959年(昭和34年)の大阪市南区南炭屋町界隈住宅地図
 二ツ寺町の御津幼稚園跡地が私達子どもの遊び場でした。幼稚園は空襲で跡形も無くなりコンクリートの塀と門柱だけが残っていました。家に客があると久左衛門町のグリル明陽軒からカレーライスやハンバーグライスを出前してもらいますが、余分に私の分も頼んでもらえるのがうれしかった思い出です。南炭屋町交番は今も「アメリカ村」三角公園の一隅に残っていますが、周辺は危険な臭いが昼間でも漂っている街になってしまいました。
 今は大阪ミナミの歓楽街になってしまった南区南炭屋町ですが、『池島勘治郎作品集』を読むと、昭和20年代や30年代の情景が眼前によみがえり懐かしさで一杯になりました。

ロシアの細密画小箱ミニアチューラの解説・作品集「ルスカヤ・ラコーヴァヤ・ミニアチューラ」を入手2013/08/08 10:50

 ロシアの工芸品で一番知られているのは、マトリョーシカだろう。入れ子細工の素朴な木の人形で販売価格も比較的安い。ホフロマ塗りと呼ばれる金色と赤色に塗られた木製食器も有名。グジェーリと呼ばれる青い釉で描いた陶磁器も有名。何れも比較的安価。

 一方、ミニアチューラは余り知名度は高くないようだ。その理由は高価で作られる数も少ないから、観光客のお土産にはなりにくいことだろう。しかし最も手が掛かっていて美しさもロシアの工芸品の中では一番だと思う。

 そのミニアチューラの解説本兼作品アルバムともいうべき豪華本を見つけて最近購入した。
「Русская лаковая миниатюра(ルースカヤ・ラコーヴァヤ・ミニアチューラ」という本である。直訳すれば、ロシアの漆塗り(ラッカー塗り)細密画ということになる。解説文もあるが、大部分はパレフ、ムスチョウーラ、フェドスキノ、ホールイの4産地別にまとめたカラー作品アルバムである。ロシア語がすらすら読めなくても文字が少なく、ほとんどが写真なので、見て、写真から読み取ることができる本である。
Русская лаковая миниатюра ラシーア・ラコーヴァヤ・ミニアチューラ ロシア漆塗り細密画
 本の中はフェドスキノ、パーレフ、ムスチョーラ、ホールイの4産地に分けて初期作品から最新作品までが美しいカラー写真で並ぶ。説明文は少なく、制作年、作者、作品名だけが書き添えられている。
Русская лаковая миниатюраno

 ミニアチュールについて書かれた本は珍しく、各産地ごとの年代別変遷も写真を眺めながらわかるので貴重な一冊である。

吉田秋雄ガラス作品展で酒器を購入2013/07/30 23:00

 またまた、あべのハルカス近鉄本店11階のアートギャラリーで開かれていた「吉田秋雄 ガラス作品展」で酒器になりそうなガラス工芸作品を3点購入しました。

 工芸作家の個展を拝見するとき、真っ先に考えることは、酒器として使ったときの姿を客観的に思い浮かべることです。その姿を思い描いてその器にどんな酒を盛ったら器を生かせるのか、相応しいのかと頭を回転させています。

 吉田さんの作品は、ガラスに金(ゴールド)を取り込んだ器が目立ちます。金の薄板に融けたガラスを回転しながら押し当てるとガラスに金が取り込まれていく技法のようですが、見たわけではないのでどのような手法なのかイメージが正確には掴めません。

 このガラスとゴールドの取り合わせが気に入りました。美しいと思いました。日本酒を飲む器として購入したのが写真のガラス器です。冷酒用と考えています。
吉田秋雄ガラス作品展で購入した酒器3点
 徳利をイメージした器1点とぐい飲みをイメージした器2点を購入しました。徳利は3つのサイズの中から一番小さいものを選びました。酒豪だった私も今ではお猪口に一、二杯しか飲まないからです。容積を測ると100ccです。一方、ぐい飲みは80ccも入ります。徳利とぐい飲みのバランスが悪いです。このことは購入時に判っていたのですが小さなお猪口サイズの器がなかったのでやむなくの選択でした。

 この酒器に入れる酒は無色透明の液体でなければ、底の金が見えなくなり作品の良さがまったく生かされません。無色透明の中でも度数13~15の日本酒が向いています。25度の焼酎、40度のウォッカでは強すぎます。ウォッカを80ccもぐい飲みしたら食道を焼いてしまいます。

 会場に作者の吉田秋雄さんが居られました。展示作品といっしょに吉田さんの写真を撮らせていただきました。工芸作家は作務衣を着ておられるような固定観念を持っていたので、吉田さんの背広姿に小さな驚きを感じました。吉田さんは2000年に倉敷芸術科学大学芸術学部工芸学科を卒業され、神戸を拠点に活躍されています。
吉田秋雄ガラス作品展で、吉田秋雄さんと展示作品

ロシアの美術工芸品・ミニアチューラについて2013/07/18 18:31

 ロシアの伝統美術工芸品にミニアチューラというものがある。 その多くが油性絵の具で小箱に細密画を描いていた形状をしている。伝統的制作地としてはモスクワ周辺の4つの村に限定されている。パレフ村、ムスチョーラ村、フェドスキノ村、ホールイ村である。
 パレフ、ムスチョーラ、ホールイは宗教画イコンの制作地であったが、革命後の宗教政策でイコンの作成が困難になり、その技術を生かして細密画小箱の製造に傾斜していった。フェドスキノだけは出発点が18世紀末にドイツのニス塗り工芸品技術を導入して最初から細密画小箱を製作し、絵のテーマも宗教画ではなかったので革命後の政府と軋轢はなかった。
 絵の技法もパレフ、ムスチョーラ、ホールイがテンペラ技法なのに対して、フェドスキノは油彩技法と異なる。
 絵のテーマもパレフ、ムスチョーラ、ホールイがロシアの古代伝説・民話に依拠したものが多いのに対して、フェドスキノは世俗的で自由度が高い。
 絵を描く土台になる小箱は本来パピエ・マシェー(пааье-маше)と呼ばれる技法で作られる。言葉の響きからするとフランスからもたらされた技法であろう。研究社の露和辞典を見ると「紙に糊・石膏・チョークなどをまぜて作った張子」と説明されているが、丁寧に作られた箱は軽く丈夫でくるいが出ないそうだ。
 1987年にモスクワで購入したフェドスキノのミニアチューラである。作品の題名は「北の歌」(Северная песня)である。
ロシアのフェドスキノ村で作られた細密画小箱「北の歌」
 ロシアの小さな村で娘たちが輪になって踊っている。傍らでは若者たちがバラライカとアコーデオンで伴奏を奏でている。日が傾き、逆光の暗がりが広がる中、娘たちの衣装がきらめく---この金箔を巧みに使った技法に強く引かれて購入した。
ロシアのフェドスキノ村で作られた細密画小箱「北の歌」の上面
 当時はロシア共和国地場産業省工芸品玩具課の管轄で商品価値を維持するための管理が行われていたので4つの産地に限定されていたミニアチュールも、今では何でもありで模造品も多いらしい。本物は非常に高価である。産地まで出向いて作家から直接購入するのが本物を入手する確実な手段だろう。

陶芸家・阪井七(なお)さんの個展で信楽焼きのぐい飲みを購入2013/06/27 14:10

 あべのハルカス近鉄本店11階のギャラリーで陶芸家・阪井七(なお)さんの個展が開かれていました。中を覘いて見ました。荒い緋色の肌の一部が緑変した「ぐい飲み」に目が引き付けられました。信楽焼き独特の薄い赤茶色のざらついた陶器の肌と一部が炎の中で様々に変化した景色が安らぎを感じさせる作品です。

 許可を得て同型の3点を触らせて頂きました。手触りや様々な角度から景色を確認して、一番しっくりと感じた1点を選んで購入しました。持ち帰り、水を張った鍋で1時間煮沸して自然に冷ましました。釉薬の掛かっていない陶器は購入後、お湯または、米のとぎ汁で煮沸した方がよいと記憶しています。使用前には毎回水を吸わせたほうが器に入れる成分が(ぐい飲みの場合は清酒が)土の隙間に入り込むのを防ぐために役立つそうです。

 ぐい飲みの底には灰が掛かった部分が緑色と金色にきらきら輝いています。清酒を注ぐとぎらつきが消えて落ち着いた色が底に現れました。池の底に月が映っているようにも見えます。
阪井七(なお)さん作陶の信楽焼きぐい飲み 阪井七(なお)さん作陶の信楽焼きぐい飲み

 ぐい飲みの表面が本来の緋色(火色)から濃い赤茶色、茶緑色と複雑に変化しているのは、薪が燃えて出来た灰が片側からのみ降り掛かり、更に高温で溶けて自然釉となったためです。反対側の飲み口にも自然釉が掛かっています。
阪井七(なお)さん作陶の信楽焼きぐい飲み 阪井七(なお)さん作陶の信楽焼きぐい飲み
 陶芸は土と炎の芸術とも言われます。重労働も伴うでしょうから筋肉逞しい大柄の人を想像していたら、会場に居られた作者は小柄で華奢な感じすらする人でした。
 購入した作品について詳しく説明していただきました。信楽に構えた穴窯で焼成しておられるそうです。穴窯は前室と後室から成り、炊き口から炎が順番に伝わって行きます。後室から追い炊きも出来る構造です。炊き口の薪が燃えて灰ができますが、この灰が穴窯内の作品に振りかかり更に高温で溶けて自然釉になります。赤茶色の地肌に白い斑点が目に付きますが、これは土に含まれていた長石がそのまま残ったものです。
 ぐい飲みの下部にへらで削ったような切れ込みがありますが、これはまず底を作りその上にひも状にした粘土を巻き上げて行く過程で底と上部とのつなぎ目を残して景色にしたのです。上部はろくろを使ってある程度滑らかに仕上げていますが、少しひも作りの痕跡が残っていてこれも味わいになっています。

最後に阪井七(なお)さんにお願いして作品と共に写真に入って頂きました。
陶芸家・阪井七(なお)さんの個展で、作者と作品
 陶芸について何の知識も持ち合わせていませんので、作者からお聞きした説明を誤解してここに表現している恐れがあります。その際はお許し下さい。これを機会に勉強していきたいと思います。

第48回日春展から森美樹「無垢」について感じた事2013/06/12 23:27

 第48回日春展の大阪展は一ヶ月前の5月10日~15日に大丸心斎橋店で開かれました。日春展は日展の日本画部が春に開く日本画だけの展覧会です。入選270点、日春会会員出品84点、日春会委員出品50点の中から大阪展にはそれぞれ143点、42点、50点、合計235点が展示されていました。

 展覧会をじっくり見させていただきましたが、高いレベルの日本画が揃っているなあとと感心しました。ざっと見て通り過ぎるのを許してくれない、引き止めて緊張を強いる多数の日本画に出会いました。

 その中でも特に、私の魂を捕まえて離してくれなかった日本画が森美樹さんの「無垢」です。サイズはM60号(130.3×80.3)ではないかと思います。縦長画面に白百合が描かれていますが、ただの花鳥画でないことは容易に気づきます。画面全体が土色に沈んでいます。主題の白百合は画面中央ではなく極端に左寄りに位置しています。バランスの崩れは不安を呼び起こします。白百合の葉からは生気が失われ枯れ急いでいます。

 花開いた白百合3輪はけがれを知らぬ「無垢」な乙女を象徴しています。このことは西欧絵画ではお約束事になっています。幾多の西欧名画、ダヴィンチやグレコの受胎告知に描かれた聖母マリアに受胎を伝える天使には処女性を表す白百合が添えられています。ドイツ象徴主義の画家フランツ・フォン・シュトゥックの作品に、薄衣をまとった若い女性が右手に白百合を掲げ持った構図の絵がありますが題名は「無垢」です。森美樹さんも白百合に処女性を象徴させて描かれたのだと思います。そして題名に「無垢」と付けられたのだと私は思っています。

 白百合にはよからぬ悪を象徴するツル性植物が絡まりながら這い登ってきています。速い速度でツルは上ってきて白百合を絞め殺してしまうでしょう。
 この日本画の中にはどこまでも緻密で神経の行き届いた描線、くすんだ土色系統の微妙な色使いとその中で唯一の白色、バランスを崩して不安を底流に流す構図、これらが一体となって類まれな秀作「無垢」に仕上がっています。二本の白百合が全体としてKという文字に見える。暗号だろうか。これはさすがに穿ち過ぎた見方であろう。
 白百合に裏の象徴を読み取らなくても十二分に鑑賞に堪えるところがこの絵のすごいところだと思っている。可能であればぜひ手元に置いていつも見ていたい日本画である。
森美樹さんの日本画「無垢」
 なお、この作品は日春展で奨励賞を授けられている。
 展覧会を見てから時間が一ヶ月も過ぎてしまったが、頭の中で考えを熟成させようと反芻しながら時間が過ぎてしまった。

「辰巳 寛 日本画展」に行ってきました2013/05/09 10:15

 天王寺中学校で同級生だった辰巳寛(たつみかん)さんは、「舞妓さん」を描く日本画家として、日展や日春展で活躍してきました。今回の展覧会は近鉄百貨店奈良店五階美術画廊で開かれました。日展出品の140号の大作3点を含む20余点の展示です。最終日の8日に会場を訪れ、居合わせた辰巳君に入ってもらって会場の写真を撮りました。
「辰巳 寛 日本画展」と辰巳寛さん
 写真左端は「清夏舞妓」で舞妓さんの顔がしっかりと正面を見据えている作品。鑑賞位置も正面から絵と正対する以外にない。写真右端「清秋」は紅葉の屏風を背後にして横向きに座した舞妓さんがこちらへ顔を向けている。この舞妓さんの視線は不思議な効果を与えている。右側に立って鑑賞すると右側に視線を送ってくる。左側に立つと左側へ視線を送ってくる。どの角度から見ても絵と対話できるマジックを秘めている。

 写真には写ってないが、もう一点の日展出品作が「星夜」で、物干し台とおぼしき場所に立って夜空を眺める舞妓さんの後姿を描いた作品。夜の屋外であり、うしろ姿の舞妓さんと何れも辰巳作品に、前例が無い斬新な画面構成になっている。この「星夜」はクリアファイルのデザインに採用されていて日展アートショッピングで購入できる。

 10日から日春展が大丸心斎橋店本館7階で開かれるが辰巳君は運営委員なので9日は準備で会場へ出かけるそうだ。