京都美術館に竹内栖鳳展を見に行く ― 2013/11/17 21:16
「近代日本画の巨人-竹内栖鳳展」を京都市左京区の岡崎公園内にある京都市美術館へ見に行った。
門柱に「京都美術館」の銘板がはめ込まれている。古の名称がそのまま残されている。京都市美術館は創立80周年を迎え、その記念展覧会が「竹内栖鳳展」だという。
京都市美術館の正面玄関。80年の歴史を感じさせる重厚な造りだ。
竹内栖鳳は幕末の京都に生まれ、13歳で絵を始め、17歳で四条派の幸野楳嶺に入門、四条派のみならず円山派や狩野派の画法も吸収。明治33年、36歳で欧州を7ヶ月旅し、西洋絵画に強い衝撃を受けて日本画の大胆な革新に取り組んでいく。その後名を成す多くの日本画家を育て上げた功績も大きい。明治以降の京都画壇は竹内栖鳳から始まったとも言える巨大な存在。昭和17年没。
「近代日本画の巨人 竹内栖鳳展」の入場券を買って入る。 西洋の旅から帰朝して描いた獅子図は、獅子(ライオン)を初めて動物園で見たため超リアルに、しかも生き生きと描き出されています。西洋画では描けない、日本画の技法を活かしきった、西洋画と従来の日本画を超越した生き物としての獅子(ライオン)を描ききっています。今に安住せず次々と新しい表現に挑戦していった栖鳳の姿がこの展覧会でよく分りました。
同じ館内の別室で同時開催されている「下絵を読み解く-竹内栖鳳の下絵と素描」の入場券を買って見学しました。 こちらは画家の手の内を拝見できる展示です。竹内栖鳳が描いた掛け軸、襖絵、屏風絵には全て同じ大きさの下絵が存在しているのです。日本画に通じていない私には驚きでした。襖絵を描く前に小さい下絵を何度も繰り返し、最後に同じ大きさの襖を使って下絵を描いて最終確認をするのです。すべての作品に下絵が作られたようです。栖鳳の下絵は筆と墨で描かれているのですが、昭和の時代に入ると木炭も併用して描いています。
作品作りの元になる写生も大量の写生帳の形で残されています。努力の積み重ねが大作を生み出す栄養源になるんですね。写生も筆で描かれていたのが、昭和になると鉛筆も使われています。
両方の展示を見るのに4時間も使ってしまい、もう閉館時間が迫っていました。
門柱に「京都美術館」の銘板がはめ込まれている。古の名称がそのまま残されている。京都市美術館は創立80周年を迎え、その記念展覧会が「竹内栖鳳展」だという。
京都市美術館の正面玄関。80年の歴史を感じさせる重厚な造りだ。
竹内栖鳳は幕末の京都に生まれ、13歳で絵を始め、17歳で四条派の幸野楳嶺に入門、四条派のみならず円山派や狩野派の画法も吸収。明治33年、36歳で欧州を7ヶ月旅し、西洋絵画に強い衝撃を受けて日本画の大胆な革新に取り組んでいく。その後名を成す多くの日本画家を育て上げた功績も大きい。明治以降の京都画壇は竹内栖鳳から始まったとも言える巨大な存在。昭和17年没。
「近代日本画の巨人 竹内栖鳳展」の入場券を買って入る。 西洋の旅から帰朝して描いた獅子図は、獅子(ライオン)を初めて動物園で見たため超リアルに、しかも生き生きと描き出されています。西洋画では描けない、日本画の技法を活かしきった、西洋画と従来の日本画を超越した生き物としての獅子(ライオン)を描ききっています。今に安住せず次々と新しい表現に挑戦していった栖鳳の姿がこの展覧会でよく分りました。
同じ館内の別室で同時開催されている「下絵を読み解く-竹内栖鳳の下絵と素描」の入場券を買って見学しました。 こちらは画家の手の内を拝見できる展示です。竹内栖鳳が描いた掛け軸、襖絵、屏風絵には全て同じ大きさの下絵が存在しているのです。日本画に通じていない私には驚きでした。襖絵を描く前に小さい下絵を何度も繰り返し、最後に同じ大きさの襖を使って下絵を描いて最終確認をするのです。すべての作品に下絵が作られたようです。栖鳳の下絵は筆と墨で描かれているのですが、昭和の時代に入ると木炭も併用して描いています。
作品作りの元になる写生も大量の写生帳の形で残されています。努力の積み重ねが大作を生み出す栄養源になるんですね。写生も筆で描かれていたのが、昭和になると鉛筆も使われています。
両方の展示を見るのに4時間も使ってしまい、もう閉館時間が迫っていました。
「第15回 丸池’69展」を拝見し、話を聞きました ― 2013/11/22 19:35
京都・三条柳馬場東入ルの「ギャラリー吉像堂」で11月12日から17日まで開かれていた『第15回 丸池’69展』を拝見しました。『京都画廊連合会ニュース』で知りました。
『京都画廊連合会ニュース』は毎月、京都画廊連合会が発行する機関紙で加盟画廊の展覧会日程が詳しく掲載されています。2013年11月号にはスペースを大きく割いて『第15回 丸池’69展』を紹介しています。加盟画廊数が80以上もあり、週単位で展示替えがあることを考えると、月1回発行の『ニュース』にこのように大きく取り上げられるのは大いなる名誉です。その一部を以下に引用させていただきました。ニュースは上質紙にモノクロ印刷ですが、掲載作品箇所をカラーに置き換えています。
『ニュース』の編集部から作品の写真提供を求められたのが2ヶ月も前だったので作品がまだ完成しておらず写真を送れなかったと残念がる方もいました。
京都府画学校から続く日本最古の歴史を誇る京都市立美術大学は1969年4月、京都市立音楽短大と統合され、京都市立芸術大学に大学名を変更しました。芸術大学新キャンパス建設は候補地が浮かんでは消える紆余曲折があって停滞し、美術学部の学舎は1980年3月まで元の東山区今熊野日吉町の木造校舎利用が続きました。
1969年3月、京都市立美術大学日本画科最後の卒業生たちは、その後も集まりを続け、不定期に合同展を開いていたのですが、14年前から東山校舎のシンボルだった丸池の名を冠した『丸池’69展』を定期開催してきました。
日本画科の同級生たちが44年後も多数集まって合同展を開いているという事実に感動しました。またその結束をうらやましく思います。
日本画科卒業ですので、当然、日本画の出品が多数ですが、アクリル画や銅版画の出品もあります。木彫も1点ありました。今回、11名の方の作品を見せていただき、その思いを幾らかは感じ取れたと思います。来年はどんな作品を見せていただけるのでしょうか。楽しみに待ちたいと思います。
「ギャラリー吉像堂」は漆器・工芸品の「西村吉像堂」の2階です。階段を上がって左手の展示作品を紹介します。左から奥谷澄『時』『百合』。左奥で1作品が見えませんが、神野立生『Traces of Nothingness』(銅版画)。木村順子『るり渓』『睡蓮』『白雪草』『椿』。小坂敦子『君住む街』『塩湖』。塩山強(作品名の表示なし)。
右手の展示作品を紹介します。左から上田彊『作品』(アクリル画)。藤田一郎『「気」くさむら』。高嵜千歳『少女と人形たち』『バレエのおけいこ』『ガラスのビンの薔薇』。鎌田隆行『あや「ちち子」とり』『あや「ねネ」とり』『あや「わっ」とり』『あや「ちち」とり』(何れも銅版画)。殿南直也『さねかずら』『飛天』『飛天』『しおん』(壁の影で見えません)。池田三郎『鶺鴒』『争雀』(木彫)。
上の2枚の写真でほぼ会場の作品を網羅していますが、曲がり角の奥にあり、まったく写っていない作品や見えにくい展示もありますので以下に写真を追加します。
左から奥谷澄『百合』。神野立生『Traces of Nothingness』『Traces of Nothingness』(何れも銅版画)。木村順子『るり渓』。
左から木村順子『白雪草』『椿』。小坂敦子『君住む街』『塩湖』。
左から藤田一郎『「気」くさむら』。高嵜千歳『少女と人形たち』『バレエのおけいこ』『ガラスのビンの薔薇』。
高嵜さんは「未来に希望が持てるような絵を描いて行きたい」と話しておられました。お孫さんがモデルではないかと想像するのですが、描かれた少女の曇りの無い無垢な瞳を見るとその言葉の意味が良く分るような気がします。
左から殿南直也『さねかずら』『飛天』『飛天』『しおん』。池田三郎『鶺鴒』『争雀』。
池田三郎『争雀』。 三条通りに置かれた「第15回 丸池'69展」看板。 池田さんの出品作『鶺鴒』は日没後、空に僅かに残照が残る時間帯でしょうか、川面をキセキレイがねぐらへ飛んで行きます。あるいは夜明け前、空が微かに白み出した刻限、キセキレイが餌場へ飛んでいく情景でしょうか。写真では黒一色に見えるかもしれませんが、黒の中に川面も背後の森も実に丁寧に情景が描きこまれているのです。『争雀』は長年のスズメの生態観察を元に生み出された時間の結晶です。2年間掛けて彫り上げた作品は繊細で木彫でここまで出来るのかと驚かされました。
『京都画廊連合会ニュース』は毎月、京都画廊連合会が発行する機関紙で加盟画廊の展覧会日程が詳しく掲載されています。2013年11月号にはスペースを大きく割いて『第15回 丸池’69展』を紹介しています。加盟画廊数が80以上もあり、週単位で展示替えがあることを考えると、月1回発行の『ニュース』にこのように大きく取り上げられるのは大いなる名誉です。その一部を以下に引用させていただきました。ニュースは上質紙にモノクロ印刷ですが、掲載作品箇所をカラーに置き換えています。
『ニュース』の編集部から作品の写真提供を求められたのが2ヶ月も前だったので作品がまだ完成しておらず写真を送れなかったと残念がる方もいました。
京都府画学校から続く日本最古の歴史を誇る京都市立美術大学は1969年4月、京都市立音楽短大と統合され、京都市立芸術大学に大学名を変更しました。芸術大学新キャンパス建設は候補地が浮かんでは消える紆余曲折があって停滞し、美術学部の学舎は1980年3月まで元の東山区今熊野日吉町の木造校舎利用が続きました。
1969年3月、京都市立美術大学日本画科最後の卒業生たちは、その後も集まりを続け、不定期に合同展を開いていたのですが、14年前から東山校舎のシンボルだった丸池の名を冠した『丸池’69展』を定期開催してきました。
日本画科の同級生たちが44年後も多数集まって合同展を開いているという事実に感動しました。またその結束をうらやましく思います。
日本画科卒業ですので、当然、日本画の出品が多数ですが、アクリル画や銅版画の出品もあります。木彫も1点ありました。今回、11名の方の作品を見せていただき、その思いを幾らかは感じ取れたと思います。来年はどんな作品を見せていただけるのでしょうか。楽しみに待ちたいと思います。
「ギャラリー吉像堂」は漆器・工芸品の「西村吉像堂」の2階です。階段を上がって左手の展示作品を紹介します。左から奥谷澄『時』『百合』。左奥で1作品が見えませんが、神野立生『Traces of Nothingness』(銅版画)。木村順子『るり渓』『睡蓮』『白雪草』『椿』。小坂敦子『君住む街』『塩湖』。塩山強(作品名の表示なし)。
右手の展示作品を紹介します。左から上田彊『作品』(アクリル画)。藤田一郎『「気」くさむら』。高嵜千歳『少女と人形たち』『バレエのおけいこ』『ガラスのビンの薔薇』。鎌田隆行『あや「ちち子」とり』『あや「ねネ」とり』『あや「わっ」とり』『あや「ちち」とり』(何れも銅版画)。殿南直也『さねかずら』『飛天』『飛天』『しおん』(壁の影で見えません)。池田三郎『鶺鴒』『争雀』(木彫)。
上の2枚の写真でほぼ会場の作品を網羅していますが、曲がり角の奥にあり、まったく写っていない作品や見えにくい展示もありますので以下に写真を追加します。
左から奥谷澄『百合』。神野立生『Traces of Nothingness』『Traces of Nothingness』(何れも銅版画)。木村順子『るり渓』。
左から木村順子『白雪草』『椿』。小坂敦子『君住む街』『塩湖』。
左から藤田一郎『「気」くさむら』。高嵜千歳『少女と人形たち』『バレエのおけいこ』『ガラスのビンの薔薇』。
高嵜さんは「未来に希望が持てるような絵を描いて行きたい」と話しておられました。お孫さんがモデルではないかと想像するのですが、描かれた少女の曇りの無い無垢な瞳を見るとその言葉の意味が良く分るような気がします。
左から殿南直也『さねかずら』『飛天』『飛天』『しおん』。池田三郎『鶺鴒』『争雀』。
池田三郎『争雀』。 三条通りに置かれた「第15回 丸池'69展」看板。 池田さんの出品作『鶺鴒』は日没後、空に僅かに残照が残る時間帯でしょうか、川面をキセキレイがねぐらへ飛んで行きます。あるいは夜明け前、空が微かに白み出した刻限、キセキレイが餌場へ飛んでいく情景でしょうか。写真では黒一色に見えるかもしれませんが、黒の中に川面も背後の森も実に丁寧に情景が描きこまれているのです。『争雀』は長年のスズメの生態観察を元に生み出された時間の結晶です。2年間掛けて彫り上げた作品は繊細で木彫でここまで出来るのかと驚かされました。
あべのハルカス全面開業まであと100日。夜、ビル壁面に「100」表示 ― 2013/11/28 15:55
あべのハルカス全面開業まであと99日。夜、ビル壁面に「99」表示 ― ― 2013/11/28 18:07
「なにわ伝統野菜・天王寺蕪収穫祭2013」開催 ― 2013/11/30 16:01
ナニワ伝統野菜の一つ「天王寺かぶら」を盛り立てるイベント「天王寺蕪収穫祭2013」が11月30日(土)、天王寺区茶臼山町の天王寺公園で開かれました。
天王寺小学校と大江幼稚園の子どもたちが種まきと収穫をしてくれた天王寺かぶらを使った生姜スープが無料で振舞われました。行列に並んで頂きましたが、かぶら具沢山・生姜スープで体が温まりました。 「天王寺蕪のしょうがスープ」をサービスしてくれるスタッフの皆さん。
天王寺蕪をトッピングした「天王寺幸村バーガー」も人気で行列ができていました。限定200個とかで、私も行列に並びました。
なお、幸村は真田幸村のことです。イベント会場の天王寺公園内・茶臼山古墳は真田幸村と徳川家康が戦った場所です。幸村戦死の地もすぐ近くです。 純粋の大阪人は徳川家康を狸親父と呼んで嫌っています。大阪夏の陣以来、大阪人は江戸や東京に対して屈折した気持ちを持ち続けているのです。
ハンバーガーのパンとハンバーグと卵を鉄板で焼くスタッフの人たち。ハンバーグのパティには天王寺蕪が練りこまれているそうだ。
焼きあがったパンとハンバーグと卵の上になにわ伝統野菜「天王寺蕪」をたっぷり載せます。かぶらの根と茎と葉の全てを使っているようです。
10分ほど並んで手にした「天王寺幸村バーガー」をすぐ横の花壇の縁石に座ってかぶりつきました。普通のバーガーとは異なりかぶらの風味ですごく和風になっていました。値段は500円ですが、量もたっぷりで満足満足でした。
なにわ伝統野菜を使った漬物専門店も出店していました。
天王寺小学校と大江幼稚園の子どもたちが種まきと収穫をしてくれた天王寺かぶらを使った生姜スープが無料で振舞われました。行列に並んで頂きましたが、かぶら具沢山・生姜スープで体が温まりました。 「天王寺蕪のしょうがスープ」をサービスしてくれるスタッフの皆さん。
天王寺蕪をトッピングした「天王寺幸村バーガー」も人気で行列ができていました。限定200個とかで、私も行列に並びました。
なお、幸村は真田幸村のことです。イベント会場の天王寺公園内・茶臼山古墳は真田幸村と徳川家康が戦った場所です。幸村戦死の地もすぐ近くです。 純粋の大阪人は徳川家康を狸親父と呼んで嫌っています。大阪夏の陣以来、大阪人は江戸や東京に対して屈折した気持ちを持ち続けているのです。
ハンバーガーのパンとハンバーグと卵を鉄板で焼くスタッフの人たち。ハンバーグのパティには天王寺蕪が練りこまれているそうだ。
焼きあがったパンとハンバーグと卵の上になにわ伝統野菜「天王寺蕪」をたっぷり載せます。かぶらの根と茎と葉の全てを使っているようです。
10分ほど並んで手にした「天王寺幸村バーガー」をすぐ横の花壇の縁石に座ってかぶりつきました。普通のバーガーとは異なりかぶらの風味ですごく和風になっていました。値段は500円ですが、量もたっぷりで満足満足でした。
なにわ伝統野菜を使った漬物専門店も出店していました。
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