京都・東山の泉屋博古館に「木島櫻谷-京都日本画の俊英」展を見に行く ― 2013/12/08 18:08
京都画壇で明治~昭和に活躍した日本画家・木島桜谷(このしまおうこく)の作品展「木島櫻谷-京都日本画の俊英-」を見るために京都の泉屋博古館に出かけました。正式には櫻谷だが、一般的に桜谷と表示されることが多いようなので、ここでは簡易表現に従う。
1877年(明治10年)京都の商家に生まれた木島桜谷は、16歳で亡父の知人で四条派の大家、今尾景年(いまおけいねん)に弟子入りし絵を学ぶ。景年は明治13年設立の京都府画学校でも教師として勤めている。桜谷も1912年(大正元年)に京都市立美術工芸学校教授に就任している。1913年(大正2年)には師景年の後をつぐ形で文展審査員に選ばれた。
1933年(昭和8年)の第14回帝展出品を最後に、京都郊外・衣笠村に住まいを移し画壇からも遠ざかった。1938年(昭和13年)に事故死。
2年後の1940年に桜谷の遺作や収集品を管理研究するために創設された「櫻谷文庫」と「泉屋博古館」との共催で今回の展覧会が実現した。
会場入口でまず目にした「剣の舞」(1901年)と「一夜の夢」(1902年)はどちらも戦いに敗れて滅び行く者たち(首を刎ねられ惨殺されるであろう者たち)の前夜の姿を描いていて、見るものの胸に痛みが伝わってくる。この時期の櫻谷が描く武者や姫たちの顔つきには共通点があるように思える。
桜谷の有名な「寒月」を探したが見当たらない。聞くと4回の展示替えがあり、第1期と第4期に展示されるのだという。この日は第3期だった。もう一度出かけるしかない。残念。 泉屋博古館(せんおくはくこかん)は住友家15代当主が主に集めた中国古代青銅器と銅鏡、その長男が集めた明・清時代の中国書画などを管理・研究・公開するために設立された財団が運営する美術館。「泉屋(いずみや)」は住友家の屋号であり、旧住友財閥系の企業には泉の文字がよく使われている。
私が通院する大阪・中之島の住友病院一階レストランの名前も「いずみ」となっている。余談だが、住友病院は各階の壁面至る所に絵画が飾られていて、待ち時間に鑑賞して回るのを楽しみにしている。
「木島櫻谷」展は「寒月」が無く、残念な思いがしたが、常設展示の中国青銅器のすばらしさには思わず感嘆の声を上げそうなほど驚いた。古青銅器について何の知識も無いが誰もが納得する歴史の重みが作り出した色合いと形状の調和、そして内からにじみ出る美しさが3000年以上の時を経て迫って来た。よくこれほどの名品が集まったものだ。住友家当主の財力と鑑識眼と収集時期が相まって実現したコレクションだと思う。 中庭の向こうには東山の山並み、そして紅葉。立地景観を最大限に生かした美術館だが、いつまでもその風景が維持されていくところに京都のすばらしさがある。
1877年(明治10年)京都の商家に生まれた木島桜谷は、16歳で亡父の知人で四条派の大家、今尾景年(いまおけいねん)に弟子入りし絵を学ぶ。景年は明治13年設立の京都府画学校でも教師として勤めている。桜谷も1912年(大正元年)に京都市立美術工芸学校教授に就任している。1913年(大正2年)には師景年の後をつぐ形で文展審査員に選ばれた。
1933年(昭和8年)の第14回帝展出品を最後に、京都郊外・衣笠村に住まいを移し画壇からも遠ざかった。1938年(昭和13年)に事故死。
2年後の1940年に桜谷の遺作や収集品を管理研究するために創設された「櫻谷文庫」と「泉屋博古館」との共催で今回の展覧会が実現した。
会場入口でまず目にした「剣の舞」(1901年)と「一夜の夢」(1902年)はどちらも戦いに敗れて滅び行く者たち(首を刎ねられ惨殺されるであろう者たち)の前夜の姿を描いていて、見るものの胸に痛みが伝わってくる。この時期の櫻谷が描く武者や姫たちの顔つきには共通点があるように思える。
桜谷の有名な「寒月」を探したが見当たらない。聞くと4回の展示替えがあり、第1期と第4期に展示されるのだという。この日は第3期だった。もう一度出かけるしかない。残念。 泉屋博古館(せんおくはくこかん)は住友家15代当主が主に集めた中国古代青銅器と銅鏡、その長男が集めた明・清時代の中国書画などを管理・研究・公開するために設立された財団が運営する美術館。「泉屋(いずみや)」は住友家の屋号であり、旧住友財閥系の企業には泉の文字がよく使われている。
私が通院する大阪・中之島の住友病院一階レストランの名前も「いずみ」となっている。余談だが、住友病院は各階の壁面至る所に絵画が飾られていて、待ち時間に鑑賞して回るのを楽しみにしている。
「木島櫻谷」展は「寒月」が無く、残念な思いがしたが、常設展示の中国青銅器のすばらしさには思わず感嘆の声を上げそうなほど驚いた。古青銅器について何の知識も無いが誰もが納得する歴史の重みが作り出した色合いと形状の調和、そして内からにじみ出る美しさが3000年以上の時を経て迫って来た。よくこれほどの名品が集まったものだ。住友家当主の財力と鑑識眼と収集時期が相まって実現したコレクションだと思う。 中庭の向こうには東山の山並み、そして紅葉。立地景観を最大限に生かした美術館だが、いつまでもその風景が維持されていくところに京都のすばらしさがある。
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