世界遺産ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会を見に行く(1)2011/10/31 00:42

 午前中、ウラジーミルでウスペンスキー大聖堂などの見所を見て回った。午後はウラジーミルから北東に10キロほど離れたところにぽつんと建っているポクロヴァ・ナ・ネルリ教会を訪ねる予定。お昼を過ぎたので昼食場所を探す。ホテルから東へ100メートル、ポクロヴァ教会へ行くバスの停留所の近くにレストランを見つけた。中の様子を伺っていると店の親父に声を掛けられ誘い込まれた。ロシアでレストランやカフェの勧誘は珍しい。この店の食事は美味しかった。ロシア料理を中心に多様なメニューが揃っている店だがその何れもが旨かった。店の名前がТРИ ПЕСКАРЯ(トゥリ・ペスカリャー)。その意味は辞書によると「3匹のペスカーリ(コイ科の淡水魚タイリクスナモグリ)」ということになる。
29日午後、カフェ「三匹のカマス」で昼食

 バス停でポクロヴァ教会のあるバガリューボヴァ行きの152番バスを待っていると目の前を日本の大手旅行会社の大型ツアーバスが通り過ぎた。ツアーに参加すると乗り継ぎ時間の無駄も無く効率的な旅ができるだろう。しかし気の向くまま歩いて写真を撮る私には、時間配分も自由にならないし向いていないと思う。
大手旅行会社のツアーバスが通過した

 バスに途中から検札のおばさんが乗り込んできた。こちらから先に声を掛けて切符を買う。バス料金は12ルーブル。日本円に換算すると32円ぐらいだ。モスクワは世界一物価が高いと聞いていたが、ここが田舎だからだろうか、バス代だけでなく何でも安い。ポクロヴァ教会からウラジーミルに戻って紳士靴を買うことになるのだが、2000円ちょっとで買えた。ロシアの庶民の(特に地方の)給料は少ないのでこの価格でも決して安くないのだろうが、日本から来た私には恐ろしく割安に思える。
車内に乗り込んできたおばさんから買ったバスの切符

 152番バスを降りてから写真をパチリ。バスの行き先にバガリューボヴァБОГОЛЮБОВОも書かれている。それにしても車体が泥水をかぶって汚れがひどい。道路の中央は舗装されているが路肩近くはどろんこだから、停車のため路肩近くを走るバスはどうしてもどろんこになる。
バガリューボヴァで152番バスを降りた

 バスはバガリューボヴァ集落で降りるのだが、青い屋根のバガリュープスカヤ修道院が前方右手に見える停留所で降りればよい。大きな修道院だし青い屋根の修道院など他に無いから間違うことはない。
バガリュープスカヤ修道院が見えたらバスを降りる

 この停留所でバスを降りて、修道院の前を歩いていく。あいにく雨が降ってきて歩くのが気が重い。大きな修道院の前をかなり時間を掛けて歩き切り、修道院の敷地が終わったところで右折する。右に曲がると未舗装の道は下り坂になっていて、左手に民家を見ながら鉄道のバガリューボヴァ駅方向に向かう。

世界遺産ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会を見に行く(2)2011/10/31 19:26

 バガリュープスカヤ修道院を右手に見ながら主要道路7号線を歩いていく。200メートルぐらい歩いて修道院の敷地が終わった所で右折する。下り坂を降りて行く。左手に民家が並んでいる。郷愁を誘うロシアの民家建築。

 私が懐かしさを感じるのは1960年代に札幌に住んでいたためだ。当時の札幌は北の果ての寂しい街で主要道路以外は未舗装の土の道だった。その道を挟んで建っていたトタン葺きの木造民家にはこんな感じも漂っていたなあ・・・ただ、こんなにカラフルに塗装した民家は「さっぽろ」には無かった。

 どの家も窓枠回りに素敵な彫刻を施している。家の機能に何の役にも立たないことにこんなに努力を傾けているのはなぜだろうか。ロシア庶民の美意識か、伝統の尊重か。
ロシアの民家

 緑色の塗装と共に青色の塗装も多い。
ロシアの民家

 この家には「3」という番号が付いている。家屋番号は住所表示でもあるのだろう。
ロシアの民家

 高低差10数メートルの坂を下り切ると鉄道線路に着く。そこは、無人のバガリューボヴァ駅でもある。鉄道線路を跨線橋の階段を上って下って越えて、線路に沿って東へ歩く。その後、線路からだんだん離れるように草原の中を道は続き、遠くにポクロヴァ・ナ・ネルリ教会が姿を見せる。平原にぽつんと建つ白亜の教会。
平原に建つポクロヴァ・ナ・ネルリ教会

 ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会世界遺産に登録されていることはこのブログをまとめていて初めて知った。現地の教会周辺では、世界遺産の表示はまったく見なかった。ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂の周辺でも世界遺産の表示は見なかった。何よりもこれらの建物は遺跡や記念物ではなく、熱心な信者の人たちが祈りをささげる現役の宗教施設だからだろう。
 世界遺産登録に対する熱狂的関心が満ちている日本と反対に、今回の旅で見た範囲であるが、ロシアでは世界遺産登録に対してまるで関心がないかのような印象を受けた。
29日午後、ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会

 教会の壁には、レリーフが刻まれている。一番上が旧約聖書に登場する竪琴を抱えるダビデ王、左右にワシとライオン。その下に女性の顔とライオン。このレリーフは建物の各面に刻まれている。
 教会内には帽子を取って入りお布施をした。なおロシア正教の教会内を見学する際には女性は頭に布を被り、男性は帽子を取る。内部は大変暗く、熱心に祈る人がいて宗教色が色濃く立ち込めていた。
ポクロヴァ・ナ・ネルリ協会の壁面の浮き彫り

 教会の裏庭には蜜蜂を飼育する箱がたくさん並んでいた。蜜蜂を飼育して花の蜜を集めている人は多いようだ。翌々日に訪れたスズダリで地元の人が集めた蜂蜜を買うことになる。
ポクロヴァ教会裏庭に置かれていた蜜蜂の巣箱

 ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会=Церковь Покрова на Нерли(ツェールカフィ・パクローヴァ・ナ・ニルリー)。その意味は「ネルリ川沿いの聖母教会」。Церковь(教会) Покров(聖母) на(沿いにある) Река Нерль(ニエールリ川)。
 教会の裏をニエールリ川は流れているが蛇行が激しく、この写真の水面は元の川から切り離された三日月湖のようだ。なおニエールリ川は、ウラジーミルを流れていたクリアジマ川に注ぐ支流の一つである。
 雨上がりの澄み切った空気感の中、午後4時、陽が西に少し傾き、微かにマゼンタ色が染み込んで来た。ポクロヴァ・ナ・ネルリ教会はその優美な姿を湖面に映している。まるでロシア絵画に古来描かれてきた名画世界を目の当たりにするような光景を感じていた。
水面に姿を映すポクロヴァ・ナ・ネルリ教会


 教会からの帰り道、鉄道線路を渡るため跨線橋の上を通る。その高い場所から高台にそびえるバガリュープスカヤ修道院の姿が一望できた。1165年にポクロヴァ・ナ・ネルリ教会の建立を命じたのはパガリュープスキー公だが、修道院に公の名前が付けられているということは、修道院の建立者も公であろうか。
規模の大きなバガリュープスカヤ修道院

 また坂を上ってバス停に向かう。途中、来る時撮影しなかった美しい民家を見つけて撮影。こちらには住居表示「4」が付いている。
ロシアの民家

 本数の少ないバスが偶然、バス停に着くとその直後にやってきた。小さな幸運に感謝をする。このバスで再びウラジーミルに戻った。