ヘルシンキ観光 ― 2011/10/15 11:53
今日は一日、ヘルシンキで過ごす予定。だが何の計画も立てていないので、朝起きても行き先が決まらない。旅行案内書「地球の歩き方」のヘルシンキ編に目を通す。「ヘルシンキ1日満喫型プラン」に目が止まる。最少時間でヘルシンキ観光のツボを押さえられるプランらしい。見学場所が近距離に集まっていて移動に時間が掛からないのも気に入った。これで行こうと腰を上げたのが10時半。外は気持ちの良い快晴の青空。
トラムを乗り継いで元老院広場に着く。広大な石畳の広場が広がる。広場の北側の高台に白亜のヘルシンキ大聖堂がどっしりと建つ。広場と大聖堂を大階段がつなぐ。
トラムを乗り継いで元老院広場に着く。広大な石畳の広場が広がる。広場の北側の高台に白亜のヘルシンキ大聖堂がどっしりと建つ。広場と大聖堂を大階段がつなぐ。
元老院広場から一筋南へ歩くと港に着く。ヘルシンキは海に突き出した都市なので四方が海に囲まれ港だらけ。単に港と言ってもどこの港か判らない。ここの港は一番古い港だ。
港には海に沿って石畳の広場が広がり、テント張りの店が数十軒並ぶ。露店が並ぶこの広場をマーケット広場と呼んでいる。様々な食料品、衣類、みやげ物、テイクアウトの食べ物を商うテントが並ぶ。写真の店はキノコ屋さん。
こちらの店は肉とポテトのプレートランチを売るお店。テイクアウトできるが、傍らのテーブル席で食べることもできる。美味しそうなメニューに惹かれて、ここでランチをとった。
このマーケット広場の前から要塞の島=スオメンリンナ島へ向かう市の交通局が運行するフェリーが出る。フェリーの出発時刻まで周辺で写真を撮って過ごす。ポールの上に止まっているのは、カモメ科の幼鳥ということは判るが、種の特定は難しい。背後にそびえるのはウスペンスキー寺院の尖塔。
午後1時、スオメンリンナ島へ向かうフェリーに乗った。船からウスペンスキー寺院をまた撮影する。北欧で最大のロシア正教の寺院だという。
フェリーが港を離れていく。高台に立つヘルシンキ大聖堂がよく見える。
世界遺産スオメンリンナを歩く(1) ― 2011/10/15 16:13
世界遺産「スオメンリンナの要塞群」。スオメンリンナは1748年にスウェーデン国王の手で要塞化が始まり、1808年の戦争でスウェーデンを破ったロシア皇帝の手に移ります。1853年からのクリミア戦争では55年に英仏軍が要塞を攻撃し大きく破壊された。1917年のロシア革命に伴って12月17日にフィンランドが独立を果たしたが、その直後からフィンランドの左右勢力が争って翌年1月から内戦が勃発。5月に資産階級の白衛軍が勝利し、ロシアから要塞も引き渡された。この時に要塞はフィンランド語でスオメンリンナと命名された。1973年に島は軍から教育省に移管され歴史遺産として管理されるようになった。
交通局のフェリーが着いた島のふ頭に立てられていた案内板。スオメンリンナは複数の島から成るのが分かる。島の間は橋で結ばれている。島に到着した観光客は赤い丸印のふ頭から青い色のお勧めコースを歩くのが一般的。
交通局のフェリーが着いた島のふ頭に立てられていた案内板。スオメンリンナは複数の島から成るのが分かる。島の間は橋で結ばれている。島に到着した観光客は赤い丸印のふ頭から青い色のお勧めコースを歩くのが一般的。
埠頭から島の見学に向かう観光客たち。埠頭そばに立つ東西に長い建物、その中央にアーチ型のトンネルが設けられていて、そこを潜り抜けてコースは始まる。
改めてフェリーが発着するふ頭を見る。すぐ向こうにヘルシンキの街が広がる。中央の上が白く船腹が赤い船はフェリーのヴァイキング号。そのすぐ左にヘルシンキ大聖堂も見える。
トンネルを通って最初に見える建物がスオメンリンナ教会。元は1854年に建てられたロシア正教会だが、島がフィンランド政府に移管された後、福音ルーテル教会に改装されたので非常にシンプルな外観になっている。
レンガ造りの建物。壁を覆うツタ?が赤く紅葉しひと際美しい。用途は分からなかったが、存在するだけで島の景観を引き立てる役割を果たしている。
こちらもレンガ造りの建物がカフェとして使われている。この島では歴史遺産がやさしくカフェやレストランやみやげ物店に利用されている。目立たないようにひっそりと営業している。
木々の間から覗くレンガ造りの建物は上記のカフェ。赤い服の客がお茶を飲んでいた。
レンガ造りの倉庫のような建物はマネージュと呼ばれる。軍事博物館として使われているが公開は夏季だけ。
レンガ造りでツタ?の絡まる建物の窓辺。白い窓枠の中に群青色の小瓶が並ぶ。こういう小技を効かした飾りつけはどんな人がしたのだろう。穏やかな美意識を感じさせる。
この窓辺を右手に見ながら道を進むとビジターセンターが左手にあり、その先で橋を渡る。
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