スオメンリンナ要塞からヘルシンキに戻って ― 2011/10/17 23:09
スオメンリンナ要塞からフェリーでマーケット広場に戻ったらもう4時半でした。広場のテントはすっかり消えていました。午前中は、テントの商店を覗くのに夢中で上に視線が行かず気が付かなかったのですが、オベリスクのような記念碑が広場に高くそびえています。
碑文には「IMPERATRICI ALEXANDRAE METROPOLIN FINLANDIAE primum adventanti dieXXIX Majj X Junii MDCCCXXXIII」と書かれています。何の記念碑なんでしょう?ローマ数字のところだけは1833年5月29日~6月10日と理解できます。
フィンランド語を知らないのでネットで調べました。ロシア語のウェブページにこの碑文の説明を見つけました。「1833年5月29日~6月10日にロシア皇帝ニカラーイⅠ世とその妻アレクサーンドラ・フョーダラブナ皇后がフィンランドの首都を訪問した記念に」1835年に建立されたものだそうです。碑文になぜ皇后の名前アレクサンドラだけを書いたのか?という疑問が残りますが、「皇后の石柱」と通称されているようです。
それから塔のてっぺんにはロシアのシンボル・双頭のワシが乗っています。その双頭のワシの更に上に乗っているのがカモメです。
碑文には「IMPERATRICI ALEXANDRAE METROPOLIN FINLANDIAE primum adventanti dieXXIX Majj X Junii MDCCCXXXIII」と書かれています。何の記念碑なんでしょう?ローマ数字のところだけは1833年5月29日~6月10日と理解できます。
フィンランド語を知らないのでネットで調べました。ロシア語のウェブページにこの碑文の説明を見つけました。「1833年5月29日~6月10日にロシア皇帝ニカラーイⅠ世とその妻アレクサーンドラ・フョーダラブナ皇后がフィンランドの首都を訪問した記念に」1835年に建立されたものだそうです。碑文になぜ皇后の名前アレクサンドラだけを書いたのか?という疑問が残りますが、「皇后の石柱」と通称されているようです。
それから塔のてっぺんにはロシアのシンボル・双頭のワシが乗っています。その双頭のワシの更に上に乗っているのがカモメです。
テントの商店がすべて退去した後のマーケット広場。イエスズメたちが敷石の隙間に嘴を突っ込んで何か食べ物を漁っていた。食べ物屋台がたくさん店を開いていたからパンくずとか当然落ちていることだろう。
ニコライⅠ世来訪記念碑のてっぺんに乗っているのが黄金色に輝く双頭のワシ。ワシの翼の上に乗っているのはウスセグロカモメ第3回冬羽と判断しています。
乗ったトラム(路面電車)の路線が間違っていてあわててハカニエミ駅で降りました。トラムの線路と線路の間に地下鉄入口がありました。駅名はフィンランド語と共にスウェーデン語でも表示されています。
反対行きのトラムに乗り直し、ヘルシンキ中央駅に着きました。夕食をこの近くで摂るためです。
デパートのCD売り場を覗きました。クラシックのコーナーではシベリウスの作品が圧倒的なスペースを占めていました。
明日は早朝にホテルを出て、飛行機でモスクワへ移動します。空港へ向かうバスとバス停は確認済みです。
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