今日は400年前、大坂城が落城した日2015/05/07 16:45

 400年前の1615年5月7日、大阪城(大坂城)は家康が指揮する徳川方の砲火を浴びて炎上・落城した。大阪城だけでなく商業都市でもあった城下町も焼き払われ町衆も殺され略奪され全てが灰燼に帰した。
 大阪市立の小学校と中学校で学んだ私ですが、学校では、みんなが徳川家康を「狸親父(たぬきおやじ)」と呼んで憎んでいました。豊臣家を跡形も無く滅ぼすため、騙しのテクニックや脅しの手段を駆使した家康は大阪市民から見ると狡賢い狸親父だったんです。東京都民にとっては江戸城を中心に巨大な消費都市を作り上げ、そして今の東京の礎(いしずえ)を築いた家康は偉大な英雄なんでしょうね。
 それから400年。5月17日には、西日本最大の都市・大阪市を廃止して、その主要な権限を大阪府に譲り渡すかどうか住民投票で決めるという所に追い込まれています。第二の落城を迎え、大阪の町衆は悲惨な運命を辿るかもしれません。

 いま、大阪市がある土地は、古代に難波宮が置かれたこともあり、遣隋使・遣唐使が船出した場所(大阪市住吉区の住吉大社地先の港から)でもあります。中世から都市を形成し、豊臣氏が滅ぼされた後、幕府の天領とされ、消費都市である江戸を支える物資の集散地・天下の台所として江戸に次ぐ巨大な商業都市の役割を果たしました。
 明治になっても大阪市は日本最大の商業・産業都市でした。他方、大阪府は明治になって、中央政府の廃藩置県の命で作られた人工的な概念で歴史的な裏づけがありません。大阪府が現在の領域に固まったのは明治20年。最初の大阪府は大和川以北の地域だけで現在の半分ほどの面積でした。大和川以南は商業都市・堺を県都とする堺県でした。堺県には現在の奈良県が含まれていました。大阪市を府都とする大阪府が余りにも小さいのを手直しするため大阪府に堺県が組み込まれ、今度は大きすぎると明治20年に奈良が切り離され、やっと現在の大阪府の領域が固まりました。
 実力ナンバーワンの大阪市に対して実態が伴わない影の薄い大阪府。この関係は戦後も続き、大阪府の役人は大阪市に対してジェラシーとコンプレックスを感じ続けたようです。大阪市は日本初の公営地下鉄を開業し、今も公営地下鉄としては日本最大の規模を維持します。日本最大の公立大学である大阪市立大学。水道事業、大阪市消防局などいずれの分野でも、大阪府には匹敵するようなものはありません。水道事業の統合でも協議すれば、大阪市が大阪府を飲み込む形にならざるを得ません。
 神奈川県と横浜市、愛知県と名古屋市。いずれの県でも政令指定都市を廃止しようという議論は聞きません。県が市の領域に手を突っ込まない姿勢に徹しているから問題が起こらないのです。大阪府は野望を遂げるため、再び政治力に頼ります。明治の廃藩置県と同じです。東京の中央政府におねだりして資産家の大阪市を解体してお宝の地下鉄や水道や大学や消防を手に入れようと法案を作ってもらいました。大阪市外に比べはるかに高額な大坂市民の払う固定資産税や都市計画税も大阪府の懐に移行します。その金を使って大阪府はまたまた巨大公共事業や民営ギャンブル場を中心とする統合型リゾートでも造るのでしょうか。それとも大阪府の巨額な長期債務の返済に充てるのでしょうか。

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